3日、気がつけばもう7月。今年も半年が過ぎてしまったのか・・・・・。朝、JOCの竹田恆和会長に会う。いま、制作している昭和天皇のCDの音源に東京オリンピック開会式の御声があり、JOCに許可を頂きに伺った。この人は明治天皇のひ孫になる人で、父上の竹田宮は昭和天皇のいとこにあたる。
2020年の東京オリンピック招致に日本が成功した昨年、猪瀬前都知事はじめ、手柄話をマスコミで開陳する人が多かったなかで、この人は一人、つつましやかだった。実は、IOC委員たち(竹田さんも委員の一人)への根回しにおいて、地味ながら最も力になったのは、この人の働きだという人がマスコミにもいる。その話を聞いていたから、初めから好感を持っていた。お会いすると、実に温厚な紳士で、さすがは・・・・と思った。じっと、こちらの話を聞いてくれる方である。話しもスムーズに進んだ。
4日、仕事が終わって、夜遅く、映画「私の男」を見に行った。文藝春秋の知り合いから招待券をもらっていたのを思い出したのだ。モスクワ国際映画祭で二つの賞を受賞したという話題と浅野忠信という役者に興味があったから、行って見ようという気になった。といっても、浅野の映画を見たのはただ一本。太宰治の「ヴィヨンの妻」が映画になった時、彼が太宰を思わせる無頼の作家・大谷を演じた。インテリで悪党で、繊細という難しい役がらを演じられる若い役者なんてそうそうはいない。それで、よく覚えていた。
それにしても、「私の男」は、ニ階堂ふみというまだ18歳(撮影時は18歳だったと思う)の女優の末恐ろしい素質を世に知らしめることになったのではないか。最優秀男優賞をもらった浅野の存在感を食っている、とさえいえる。沖縄出身の子だ。とても18歳には思えない大人の色気がある。
「父と娘の禁断の愛」、と映画の宣伝文句が踊るけれど、「人間の究極の愛の形」をテーマにしているのであって、極めて文学的だと思った。浅野演じる養父は、ニ階堂演じる花にとって、父であり、恋人であり、「すべて」である。養父にとって花も、娘であるだけでなく、女になり、時に母のようにもなるという「すべて」なのだ。ともに早く家族を失ってしまった孤独な二人は、流氷の海に閉ざされた極寒の地で、文字通り抱き合いながら暮らしている。もちろん二人は反社会的存在である。
面白いのは、ネットに出ている日本の観客のこの映画への書き込みだった。賛否というより、この映画を理解できないと思われる評が満載されていた。いわく、「キモチ悪い」「二度と見たくない」「理解できない」・・・・・・・。こういう濃密な人間関係というもの自体、理解を越えているので面喰っているのかもしれない。
ロシアの新聞には、この映画をナボコフの「ロリータ」の系譜に繋がる作品と評している批評家の言も載っていた。モスクワでは絶賛されたが、日本の若い観客にはおおむね「キモイ(気持ち悪い)映画」なのだ。今回の受賞騒ぎの中にも、今の日本の観客たちの「幼稚さ」、文化的理解力の低さ、が露呈している。受賞後、急に観客が増えたらしい。海外で先に騒ぎになり、日本がその評価の後をあわてて追随する。昔からずっとあるパターンだ。
桜庭一樹さんの原作は読んでいなかった。ただ、この作品は文藝春秋の仕掛けがほんとに上手に運んだ最近にない例だということは知っていた。文藝春秋の雑誌に連載したあと本になり、直木賞を受賞し、映画化され、おまけにモスクワ映画祭での快挙・・・・・。原作本がまた売れる。
