井伏さんも通った善福寺公園
2週間くらい前だろうか、吉祥寺が今年もまた「住みたい街」ランキングの1位になったという記事が朝日新聞に載っていた。井の頭公園と善福寺公園に残る自然と、多摩地区でもっとも大きな商圏という生活上の便利さとの二つの異なる要素の組み合わせが、都民に住宅地としての魅力を感じさせているらしい。
吉祥寺に越してきて、20年以上になる。我が家からは、井の頭公園より善福寺公園の方が近く、歩いて5分ほどの距離である。西荻窪に隣接する地区だ。子供の教育を考えてこの街に住むことにしたが、生まれてから都心に住みなれた自分としては、都心から離れることに少し不安があった。しかし、住み始めてすぐ、この街が好きになった。二つの公園に残る自然もさることながら、戦前からあるらしい家が自宅の近くにまだちらほらと残っていたことが、私には魅力的に映った。江戸時代は吉祥寺村といい、もともと江戸初期に明暦の大火で焼け出された本郷吉祥寺周辺の市民が幕府の支援で移住してきて成立した村だったという。
そういう戦前からの家の表札には、「東京府字吉祥寺本町・・・・」などという住居表示が書かれている。建屋は昭和初期の風情を感じさせるささやかな洋館である。庭はどの家も広く、草や木がやや雑然と茂っていて、かえってあまり手入れされていない佇まいがいい。芝生などはもちろんない。散歩の途中でそういう家を見つけると、嬉しくなった。そいうい家は、自分が子供のころの東京にはよくあった。昭和初期・・・・・山田耕筰や北原白秋が生きた時代、自分の父や母が若いころを過ごした時代、戦争が始まる前の東京、なぜかその時代に惹かれ続けている。
作家の井伏鱒二さんは、この街の近く、荻窪に戦前から住んでおられた。新潮社時代、晩年の井伏さんを訪ねて、その荻窪のご自宅に通った。先生のお家は贅沢とは言えない普通の民家だったが、庭には戦前の家の雰囲気があった。太宰治をはじめ、多くの作家たちが訪ねてきた家である。荻窪には、先生とも交流のあった太田黒男爵家の屋敷や、近衛文麿の住んでいた「荻外荘」もある。
昭和初期のこのあたりのことが、井伏さんの「荻窪風土記」という随筆に書かれていて興味深い。そのころ、このあたりまで、品川沖の船の汽笛が聞こえたという。先生は善福寺公園にも散歩の足をのばしたといっておられた。
そんな吉祥寺周辺の昔の雰囲気が壊れ始めたのはいつごろからだろうか? 吉祥寺駅から井の頭公園にかけてのあたりはすっかり観光地化してしまった。商店街では近鉄と伊勢丹が撤退し、最近はますます若者受けのする店ばかりになってきた。
私が寂しく感じているのは、しばらく前から、我が家の周辺に何軒かあった戦前からの家が壊され、新しい家が建てられるようになったことだ。ほとんどが、ビニールでコーティングしたような新建材の家である。庭ももちろんつぶされ、建物が敷地目いっぱいに建てられている。この地区はまだ建築規制があるせいで、ミニ開発だけはまぬかれているが、それにしても寂しい限りだ。なぜか、新しく建つ家はことごとくプラスチック風の新建材の家なのである。
この街は「住みたい街」ランキングの1位というが、自分にとってはだんだんと「住みたくない街」に変貌し始めている。そのことは、日本という社会の最近の変貌とも、もちろん無縁ではないと思う。
