円空破れ笠、沙門円空と円空上人、 | 美術家 村岡信明 

美術家 村岡信明 

漂漂として 漠として  遠い異国で過ごす 孤独な時の流れ
これを 私は旅漂と呼んでいる

円空れ笠、196、エピローグ、5

沙門円空と円空上人

~~~~ 円空は自らを沙門(しゃもん)と呼んでいた。 ~~~~

 

円空の出生地、岐阜県では「円空上人」と呼ぶ人がおおい。「おらが村の えんく さん」なので円空上人と呼ぶのは郷土ひいきで自然であるが、円空を金襴緞子の袈裟を着た上人と祀り上げるのはどうだろう、

上人とは中世時代 朝廷から高僧に贈られる僧位で、上人号はおもに淨土宗と日蓮宗で用いられていた。円空はそのどちらでもない。

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円空は自分が彫った彫像の背面墨蹟に“沙門円空”(数体であるが)と書いている。沙門とは“乞食”と訳す書もあるが、沙門の本質ではない。

沙門とはサンスクリット語のシュラマナ(Sramana)である。

シュラマナの意味は古代タントラ(密教)の沙門(サマナ)であり、沙門の信者対象はあくまで大衆であった。

沙門には、もう一つの語源がある。それはバラモン教の教義に対立した思想を主張して新たな宗教運動を起こした思想家沙門(サマナ)である。

バラモンの制度を端的に述べると“人は生まれによって価値が決まる”と大衆を最下位に位置づけた身分格差制度、いわゆるカースト制度である。この身分格差に反発して、人間の幸せは生まれではなく、生まれたあとからの努力で幸せになれる。と独自の思想と行動を統一したのが思想家沙門であった。

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バラモン教(ルーツはインド密教)の修業は堂内で儀軌(ぎき)に基づいて行われているが、沙門は山林にこもって自らが律する修験者であった。ゆえに沙門は草衣をまとう(野宿する)山林修験者と呼ばれていた。当然、戒律にとらわれることなく自由に生きていた。

日本密教とインド密教とは歴史的に異なる。日本密教は中国密教を経由しているので、かなり異なっているが起源は同じインド古代タントラ(密教)である。

 

前に述べたように、円空の実像を知るほどに、円空の意志の強さ、体力の強靭さに恐ろしいほど稀有な修験者であった。大衆のなかに生きた円空を心情的には高僧を感じさせるが、鋼のような強さで運命に挑み、聖仏師に生きた円空を感傷的に見てはならない。円空に対する最高の敬意は“沙門円空”である。

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細かいことであるが、円空像を円空仏と呼ぶ人がいる(呼び方は個人の自由である)。密教の神々は正しくは大日如来像、観音菩薩像、薬師如来像などが正しい呼び

方であり、私は“円空像”と呼んでいる。

                 

20171225、(月)、村 岡 信 明