円空破れ笠、人生に綾なす出会い、 | 美術家 村岡信明 

美術家 村岡信明 

漂漂として 漠として  遠い異国で過ごす 孤独な時の流れ
これを 私は旅漂と呼んでいる

円空れ笠、193、 エピローグ、2

人生に綾なす出会い

~~~~ 一片の木切れにも運命がある。 ~~~~

 

円空との出会いは、指折り数えてみると1956年の夏であった。

その頃は木曽御嶽山によく入山していた。山麓の中腹に流れる木曽川の中州にテントを張って一週間ほど滞在していた。山男仲間と数人で行くこともあったが、一人で行くことが多かった。

山頂に登るのが目的ではなく、深山で過ごす時間を求めての入山であった。

入山するザックの中身は本ばかり、外国文学・哲学書・マルクス資本論から小林多喜二の「蟹工船」(プロレタリア文学)などは木曽川の中州で読んだ。

ある朝、中州に小さな木切れが埋まっているのを見つけた。山では薪(たきぎ)を集めるのが日課なので、木切れを引き抜くとなにか凸凹していた。川できれいに洗って見ると、人間の顏の様に彫られていた。薪に燃やすのも気持ち悪くて、中州に何日か置いていたが、帰るとき木曽川に投げ入れた。

その木切れは円空彫像であったが、その時はまだ円空を知らなかった。

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その後、円空を知るにつれ、その木切れが“円空朽木護法神”と分かった。それから円空彫像(円空像)との付き合いが始まった。でも、まさか、こんなにのめり込むとは思わなかった。

円空を知るほどに、円空像の運命的な位相が見えてきた。ご神体として祀られているもの、客仏として置かれているもの、かんぎ堂で閻魔大王とならんで霊呼びの鬼神として祀られていたものから、川に流されて消えたものまで、多様な運命に分かれている。これらを総じて私は“円空運命像”と呼んでいる。

木曽川の中州で偶然に拾った木切れ(円空 運命像)が出会いとなり、円空との付き合いが始まった。一片の木切れが綾なす運命の出会いであった。

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円空像の空白と謎を解く長い旅が始まった。私をここまで惹きつけたのは、貧しい木地師の娘が町の寺に下婢に出され、そこで孕まされ、追いやられ、実家で男の児を生んだ娘(一人の女)と子供の生き様であった。母となった娘は乳呑児を背負って毎日村里や遠い町まで乞食をして飢えをしのいだ。その姿を見た村人たちは「乞食親子」とさげすんだ。

母親は子供が歩けるようになると、夏、晴れた日は暑い日差しをよけるため、雨の日は濡れないように子供に破れ笠を被せて物乞いに出ていた。

晩秋 氷雨の降る峠道を手をつないで越えて行く母子の姿があった。

人間円空の物語の主題に“円空破れ笠”と付けたのは、この母子の歩く姿であった。

                 

20171219、(火)、村 岡 信 明