円空破れ笠、人間円空の物語、 | 美術家 村岡信明 

美術家 村岡信明 

漂漂として 漠として  遠い異国で過ごす 孤独な時の流れ
これを 私は旅漂と呼んでいる

円空れ笠、192、エピローグ、1

人間円空の物語 

~~~~ 現代人が求める無意識の信仰、~~~~

 

 “円空破れ笠”が終章に入りました。

長年にわたって円空の空白と謎を解く為に、北海道・東北の各寺社に祀られている円空像を訊ねてきたことを “円空破れ笠”と題してブログに一年余に亘って連載してきました。全編に通底しているのは“人間円空”です。

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 “円空破れ笠”には三つの物語があります。

1つは、まっぱり児(孤児)に生れた円空が母に育てられた物語です。

2つは、沙門円空として生きてきた物語です。ここでは美濃の深山で、同じ境遇に生れた尼僧アイヌ―ラとの出会い、と北海道に渡ってアイヌと一緒に暮らした物語です。

3つは、本州に戻り、秋田で彫った等身大の十一面観音立像と秋田の各寺社に残された円空運命像の物語です。それ以降の名古屋・鉈薬師十二神将などもでも分かるように、大衆のなかに生きた“聖仏師 円空”の物語です。 

以上は“空白と謎”のなかに包まれていた人間円空の姿です。しかし、これだ

けでは350年前の円空であって、私がとらえている人間円空のすべてでは有りません。

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“円空破れ笠”は私には古典です。いちばん大事なのは現代人の中に生きている人間円空です。さらに現代から未来に生きる人間の生き方として対峙する人間円空です。まとめると古典、現代、未来、に生きる円空です。

 

現代社会は人間存在の否定であり、人間の消滅です。現代社会のIT環境につかれた現代人の内にうごめく“いかに生きるべきか”と自問する姿は人間回帰を求める無意識の信仰です。

近年、低山に入る人が増えています。修験者と同じように白装束で入る人もいる。大自然の中で自分を見つめる姿、それは人間円空の生き方と重なります。円空を知らない人でも現代人の苦悩は漠然(ばくぜん)としながらも円空の苦悩と共通する。現代人の心のなかに円空は生きている。

                 

20171218、(月)、村 岡 信 明