円空破れ笠、浜修験 聖場、 | 美術家 村岡信明 

美術家 村岡信明 

漂漂として 漠として  遠い異国で過ごす 孤独な時の流れ
これを 私は旅漂と呼んでいる

円空れ笠、190

浜修験の聖場

~~~~ 擬死(ぎし)再生(さいせい)海蝕(かいしょく)洞窟(どうくつ) ~~~~

 荒れる波涛が打ち寄せる海岸には侵蝕によってできた奇怪な洞窟、海蝕洞窟がある。昼でも暗い洞窟の中から眺める日没は、海と空がとけあい、やがて漆黒の闇にかわる。引き潮、満ち潮の窟からみる漆黒は祖霊が眠る彼岸とみなされていた。

洞窟の中は潮騒の音が絶えずひびき、吹き込んでくる風の音と共鳴して冥界(みょうかい・死後の世界)の空間をかもし出す。

                 Ψ

 海蝕洞窟は「擬死再生(ぎしさいせい)」の浜修験道・戒律の窟となり、窟籠りや神座(かまくら)となり浜修験(海修験と呼ぶこともある)の聖場であった。擬死再生とは“一度死に、そして再び生きかえる”ことであり、新しい命の誕生を意味している。

ゆえに海蝕洞窟は母の胎内と同義に解釈されていた。

 

奇岩・懸崖が連らなる男鹿半島には、昼でも暗い海蝕洞窟があり、孔雀の窟、かんかね洞、などがある。孔雀と書いて「こうじゃく」と読み、洞窟と呼ばずに“窟(くつ)”と読むのは浜修験の呼び名であり、無形の言葉はここに浜修験があったことの名残りである。

                 Ψ

海からせり上った男鹿半島本山(ほんざん)が山岳修験聖場であり、懸崖が海に落ちたところが浜修験聖場であった。男鹿半島は山岳修験と浜修験の信仰的環境を併せ持っていたのである。

だが、修験道には「語らず、残さず」、の戒律があり、どれだけの人間が疑死再生の戒律に従い、冥界をさまよい、生きかえり、浜修験者となって海人たちの中に生きたのか、男鹿半島の浜修験者について伝えられるものは「こうじゃく」など、浜修験の祈りの言葉しか残されていない。

この地に浜修験道の研究者がいなかったのか、男鹿半島浜修験道の史実は記されぬまま歴史の過去へ消え去さった。

                

20171213、(水)、村 岡 信 明