円空破れ笠、189、
男鹿に置き残された歴史、
~~~~ 青白き伝説に秘められた男鹿半島をゆく ~~~~
❜
神事式典が終わったあと、観光タクシーを予約していたので午後二時ごろから男鹿半島の西海岸を巡り男鹿半島の先端、入道崎まで訪ねて行った。以前、真冬に入道崎から西海岸を逆コースに通ったことがある。その時の海は荒れるに荒れていたのでその印象が強く残っている。でもその日は風もなく波もない静かな西海岸はまったく異なった景観であった。
西岸を行くうちに海にむかって口を開けた洞窟“孔雀岩”が見えてきた。男鹿では「こうじゃく」と呼んでいるが、この呼び方は浜修験の呼び方である。それは、ここに浜修験者がいたとことをしめす岩洞窟である。
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やがて前方に白と黒の縞模様に塗り分けられた入道崎の灯台が見えてきた。草原のような平地のつづく入道崎に着いた。草を踏みしめながら先端までいき、静かな岬に立つと日本海の水平線がきれいに見えた。岬の渚には黒い奇形の岩礁群が海につづいていた。
私が創作した新男鹿半島物語「満月に哭く鬼面」のなかでオルガが哭いていた岬の先端にいま立っている。満月の夜、ここからオルガは海に反射する月光の海面を歩いてシルクロードの草原に帰って行ったのだ。
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八百年の歴史を受け継ぐ赤神神社五社堂の時空には厖大(ぼうだい)な歴史が集積している。男鹿半島には古代から現代に伝わる幾多の歴史、豊かな文化がある。それらはその時代に生きた先人たちが築き上げた財産である。
しかしそれらとは別に、男鹿半島には「置き残された歴史」「語り継がれなかった過去」がある。具体的にあげると、
1)天台宗総本山 比叡山延暦寺につながる男鹿山岳信仰の歴史。
2)密教修験者円空が五社堂に奉納した十一面観音立像の意義。
さらに前述した浜修験をふくめて、これらは歴史に誇れる男鹿文化である。しかし残念ながら今これらを語り継ぐ人はいない。
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夜、門前の港町、海辺の旅館に戻って暗い海を見つめていた。男鹿半島、赤神神社五社堂の歴史の中で過ごした三日間は貴重な時間であった。わずかな人生のなかで800年祭に巡り会えたことは偶然を超えて奇蹟と言えるであろう。
この夜で八百年祭は過去となっていく。深夜、旅館の窓から沖を眺めると、ガスにかすむ暗い沖合に三艘の漁火が幻想的に浮かんでいた。
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