円空破れ笠、182、考察 3、
五社堂 十一面観音について、
~~~~ 細かい観察とアイヌ・マキリ、~~~~
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円空像を理解するには円空の二つの人格を知らなければならない。1は山岳修験者として密教の世界に生きた“沙門 円空”であり、2は聖俗に生きた“聖仏師(彫刻家・芸術家)円空”である。
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話しを考察にもどそう。等身大の十一面観音を客人堂の外に持ち出して見ると約三百五十年の時空を経たとは思えないほど新しく、まだ彫り終えたばかりのような素木(しらき)の木肌であった。しかし、細かく観察すると、全身に白い粉のようなものが付着していた。また、切り込みの角にパテ詰めの充填剤のようなものが残っていた。
「どこかで型取りをしたのですか?」と訊ねると、泉氏が
「県立博物館がレプリカを作ったので、その時のものでしょうか」と答えた。
「ブラシで早く掘り出し、全身の粉(剥離剤)を拭き取らないと木像ですから、変色や腐蝕の原因になります」と伝えてから、私はガーゼのハンカチを取り出して面相の表面をていねいに拭きとると、艶光りした観音菩薩の顏が現われた。 湯上りのさっぱりし観音菩薩の微笑みに、私もつられて微笑んだ。
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さらに彫刻のディテール(詳細)の観察をつづけるほど前期彫像との差はきわだっていた。台座を除いて全体は丁寧に彫られている。木肌の仕上げは滑らかで、天衣の流れも伝承に添って丁寧に彫られている。
今までかなりの円空像を見てきたが、初期彫像(北海道に渡る前の彫像は小さく、稚拙であった)と、はっきり区別できる中期様式の始まりであった。
刀痕を細かく見ていくとマキリが使われていた。円空は以前から鉈だけではなく、仕上げにはいくつかの彫刻刀を使っているが、五社堂十一面観音立像でマキリ(アイヌの小刀)を使っているのは新しい発見であった。
私は名古屋 “鉈薬師堂 円空彫像十二神将”にマキリが使われていることを早くから指摘しているが、それ以前すでに秋田でマキリは使われていたのだ。蝦夷地で見たアイヌの彫刻技法はすぐに活用されていたのである。
聖仏師の意識を持つ彫刻家の意気込みで彫りあがっていた。円空は木地師の生まれであり、木地師の仕事場で育った子である。多様な彫刻技術は縦横に使われていたのである。
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