円空破れ笠、五社堂と客人堂、 | 美術家 村岡信明 

美術家 村岡信明 

漂漂として 漠として  遠い異国で過ごす 孤独な時の流れ
これを 私は旅漂と呼んでいる

円空れ笠、181考察 2

 五社堂と客人堂、

~~~~ 円空十一面観音立像 奉納の背景、~~~~

五社堂(標高186m)は中央本殿に赤神権現堂を構え、向って右側に客人権現堂、三の宮堂。左側に八王子堂、十禅師堂を配していることから五社堂と呼ばれている。客人と書いて《まろうど》と読み、山岳修験では異人を指す呼び名である。

 異人とは主に外国人をさす。異人は日本海で遭難した漂着の異邦人から密航者までさまざまである。男鹿文化の源流をたどると環日本海につながる“まろうど”を無視して語ることはできない。

冬の夜に行なわれる男鹿の奇祭“なまはげ”の由来は赤神神社に継承されている広幅の掛軸「漢武帝絵図」に描かれている五匹の蝙蝠(こうもり)が“五鬼のなまはげ”の始まりである。信憑性は別にして「まろうど」につながる根拠は持っている。ほかに日本海で遭難した金髪赤顔のオロシャ人の伝説もある。

Ψ

円空は北海道オオタカムイ(太田権現)の洞窟にいたとき、奥尻海峡に生きるアイヌの海人達の遭難の悲しみは聞いていた。洞窟は海人を守るアイヌカムイであった。

能代から男鹿半島につづく海辺を歩くと、石造の地蔵や海に向かって立つ観音立像の多いことに気づく。男鹿半島は荒れる海に生きる海人たちの遭難が繰り返されていた。遭難で身内を失いながら悲しみに生きる海人達の歴史はいまも語り伝えられている。

私の持論“円空は本山に登拝し、男鹿半島の海人の安全と幸せを願って十一面観音を彫り、五社堂に奉納した”とする背景である。

Ψ

ここで秋田の詩人 沢木隆子、「厳冬漁村」の一部を抜粋して紹介する。

 

怒涛の叫びか風のうねりか  

磯浪もたけりくるっている晩

そんな夜更けに限って

漁船の難破が伝えられる

父ちゃんよう  兄ちゃんよう  人々は海へ走る

駄目かよう  助かったかよう

襟巻だけが磯辺にただよい

遂に帰らない兄ちゃんもあった

                 

20171128、(火)、村 岡 信 明