円空破れ笠、183、考察 4、
円空様式の確立、
~~~~ 聖(ひじり)仏師 円空の誕生、~~~~
円空は本州に戻ると、青森、秋田で等身大の観音立像をつづけて彫像している。いずれも蓮台・意匠が共通している連作である。
そのあと名古屋で、秋田・青森とは異なった様式の「鉈薬師十二神将」の連作を彫っているが、そのご等身大の連作は彫っていない。何故だろう?
芸術家は異質の表現に出会い、感銘を受けると大作に挑むものである。また長期間、制作が抑制されていた意欲が自由になると、自己の内面にマグマのように溜まっていた創作意欲が一気に噴きだしてくる。
円空にとって異質とはアイヌカムイであり、マグマはサルンタラ(北海道・沙流川地方に住むアイヌ)で長い間アイヌと一緒に住んでいた時に、内面で熟成されていた創作、離格への意欲、情熱である。
代表作は意識して作られるものではない。連作した作品を振り返るとなかで優れた一体がある。それが代表作である。五社堂 十一面観音立像はその代表作であった。円空三十五歳の作である。
青森、秋田の連作は円空の新しい様式に向けたエスキース(習作)であり、聖仏師に生きる精神的 技術的な自信となった。
五社堂・客人堂に祀られている円空十一面観音は、現在まで発見されている円空彫像約五千体を時系列に分類すると、円空の荒彫り、微笑み、と呼ばれる様式へのアウフへーべン(次元を変えて止揚)であり、意欲的な中期様式に止揚していった代表作である。
円空の初期は秋田で終わり、円空の中期は五社堂からはじまったのである。
技術的には円空様式への止揚であり、山岳修験者の掟(残さず)を破ってまで求めたものは円空に流れる木地師の血、しいていえば芸術家の性であった。
五社堂円空十一面観音立像は、みなし児の運命に挑み、円空が求道僧のように求めてきた聖仏師に生きる運命の始まりであった。
“いかに生きるか”円空の思想は大衆の中に生きる聖仏師であった。秋田の十一面観音立像群は“聖仏師円空”の誕生である。
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