円空破れ笠、奇人円空 | 美術家 村岡信明 

美術家 村岡信明 

漂漂として 漠として  遠い異国で過ごす 孤独な時の流れ
これを 私は旅漂と呼んでいる

円空れ笠、72     

    奇人 円 空

~~~~ 円空に流れる彫刻家の血が呼んでいる、~~~

                

オオタカムイの窟のなかで円空の葛藤はつづいていた。

「いままでひたすら彫りつづけていたが、名もなき大衆が祈る己れの彫像がこれでいいのか、祈りとは神仏への賛歌である。

タントラ(密教)の神仏が目に見える形に描かれたのがマンダラ(曼陀羅)である。いままで密教修験者の作仏戒(さぶつかい)として鉈一丁で刻んできたのは、このマンダラの神仏である。

俺が勝手に刻むのではなく、社会の下層で生きる人々に、より苦しみを救う祈りの神仏として慈愛と微笑みを持った祈祷仏に彫り上げよう」。

                 Ψ

宗教は違っても、アイヌモシリで見てきたカムイの彫刻、文様、囲炉裏の端で彫るアイヌのマキリ彫りの美しさ、彫り上げる技術に魅かれていった。

円空の血に流れる彫刻家としての本能がうずきだした。この葛藤は大衆とともに生きる聖仏師(ひじりぶっし)への自我の芽生えであった。

                 Ψ

いままで日本にいた密教修験者の数は数万人とも数十万人ともいわれているが、実数はだれにも分からない。修業の場は山林であるが、寝泊まりする場所は辺鄙な村里で、僧のいない寺、廃寺、お堂、山に散在する小屋などであり、窟に籠る修験者はいなかった。まして深山の洞窟に籠ることは至難(しなん)であり、かぞえるほどしかいなかった。それだけでも円空は奇人であった。

まして、そのころ蝦夷地と呼ばれて和人でさえ渡ることの少なかった北海道

渡島半島の絶壁にあるカムイの窟で作仏をつづける円空は奇人を超えている。

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円空には秘めたる思いがあった。尼僧アイヌ―ラの運命に綾なす幾春別、まだ見ぬアイヌ モシリで

深夜、奥尻海峡にのぼる満月の青白い光が洞窟に差し込んでくると、夜着を

かねた法衣に手をやって確かめていた。汚れた法衣に縫われた小さな袋と玉石である。

                  

2017424・日(月)Bokkonn ART,墨痕、村 岡 信 明