東京大空襲71年、死と生の記憶
東京原人の詩、
ひとりだけ生き残った美智ちゃん
冷たい風に吹かれて、来る日もくる日も立っていた、
「毎日正午/ここで待つ・美智子」 焼け跡の立札、
今日も誰も帰らない、みんな死んじゃったんだ、
涙をためて、一人だけ生残った美智ちゃん、
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のばあきちゃんは東京原人
怖ろしい夜を生き抜いた、
地獄も歩いてきた、
死臭は身体に沁みついた、
あたいは東京原人、
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黒い亡霊
蕾が膨らむ三月になると
東京の町かどに、 しくしくと泣く嗚咽が近づいてくる
頭を下げてすれ違う、 悲しみの香りを残して
赤ちゃんを抱いた黒い亡霊
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❜❜❜❜❜❜❜❜ 東京大空襲とは ❜❜❜❜❜❜❜❜
1945年3月10日午前0時すぎから二時間にわたり、アメリカ空軍B25爆撃機
による大空爆で東京の下町は炎の地獄となり、灰燼(かいじん)と化した。
空爆は死んで当たり前、生残ったのは奇蹟に近かった。私は生き残った一人です。❈東京大空襲に生残った人間を東京原人と呼んでいる。
死者は10万人(公表)だが、行方不明者をいれると20万人以上と言われている。
戦後ドイツなどでは、国家から空襲被災者に補償されているが、日本政府は戦後71年経っても空襲被災者には、何ら補償していない。
❈空襲被災者(死者・戦傷者・戦災孤児などすべてを含む)にとって戦後はまだ終わっていない。
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村岡 信 明、「東京原人の詩」-- 萌雪社。 より抜粋
(木)10・3・2016、、、Art,MURAOKA Nobuaki。詩と絵・村岡 信 明
ひとりだけ生き残った美智っちゃん
のばあきちゃんは東京原人
黒い亡霊