ソビエト崩壊の日、レニングラードで | 美術家 村岡信明 

美術家 村岡信明 

漂漂として 漠として  遠い異国で過ごす 孤独な時の流れ
これを 私は旅漂と呼んでいる

 ソビエト崩壊の日、レニングラードで、

レニングラード(現サンクトペテルブルグ)美術家同盟の総会に来賓として招待を受けてレニングラードに滞在していた時、総会前の役員会にも同席していた。議論好きのロシア人の会議は何時ものように延々と続いていた。夕方頃だった。会議室に一人の男が慌ただしく入ってきて議長の席にまっすぐに行き、興奮した声で何か話していた。議長は急に席を立って、両手を広げ

「おゝ 我々はこの瞬間から独立したんだ!」大声で叫んでから口早に意味を説明すると、全員が立ち上がり、独立!独立!と叫んで、会議場は騒然となり、抱き合う者もいた。隣にいた友人がその意味を説明してくれた。

「ソビエトの美術家は全員、美術家同盟に入っている。同盟は中央集権制で本部はモスクワにあり、全国は強い中央統制に支配されている。支部はあっても自由はない」

総会の会場はネバ川のほとりの大きいホテルで、レストランには宴会の準備は既にできていた。夕方になると大勢の同盟員も集まってきた。かなり年配の女性画家から若い画家まで、層は厚かった。宴会が始まり、乾杯の音頭は、独立!独立!と続いていた。夜になり宴会も盛り上がって舞台ではバヤーン(大型のロシアアコーデオン)が鳴り響いていた。その時数人のロシア人が私の席にきて、「この素晴らしい日を祝して何か歌ってくれ」と言ってきた。「歌は歌えない」と断ったが、彼らは笑いながら私を舞台の袖まで押しやった。私はソビエト崩壊の瞬間というロシア史の断層の日に居合わせたのも奇なる運命だ、これを自分にも刻もう、と舞台に上がった。バヤーン奏者が曲目を聞きに来た、アカペラで歌うからと断ってから、マイクを手にした


は~

惚れちゃいけない他国の人に

末はカラスの

泣き別れ


は~

雪の新潟吹雪に暮れて

佐渡は寝たかよ

灯も見えぬ


ざわついていた会場が急に静かになり、みな聞き入ってくれた。歌い終わると大きい拍手を送ってくれた。何人かがそばに来て「初めて聞いた旋律だが、何の歌ですか」

「日本の民謡で、雪国に古くから唄われている唄です」と答えると、「ミンヨウ?」 凄い! 日本にこんな歌があったのか!」 酷寒の北国に暮らすロシア人には歌詞の意味は分からなくても、この旋律に共感する感性を持っている。私の周りには大勢集まってきて、グラスにウオッカを注ぎなおしてミンヨウに乾杯を続けてくれた。


いま日本にいて、日曜日にFMラジオで放送される「日本の民謡」から、たまに、佐渡おけさが流れてくると、遠い日のレニングラードの思い出がよぎっていく。



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