firenze フィレンツェの影 | 美術家 村岡信明 

美術家 村岡信明 

漂漂として 漠として  遠い異国で過ごす 孤独な時の流れ
これを 私は旅漂と呼んでいる

イタリアの旅漂 renaissance Firenze talia

フィレンツェの影

村 岡 信 明

普段使っている、古代、中世、近代という歴史の分け方は、ルネサンスを勃興させたイタリア、フィレンツエで創られた歴史の三分法である。

フィレンツエに行くと何時も駅前のホテルで、何時もの部屋に泊まっている。この部屋の窓を開けると、すぐ近くに大聖堂が見え、朝な夕なに鳴り響く鐘の音は、体を震わせるほど大きく聞こえてくる。

大聖堂のシニョリーァ広場は朝から大型観光バスが発着していて、広場は何時もお祭り広場のように大勢の観光客で混んでいる。

ルネサンスを代表する彫刻家たちによって創られた真っ白な大理石の彫像群は、野外の高い台座の上に置かれているので、仰角で見る彫像は青空を背景にしている。

そこを通って大聖堂の裏側に回ると、人通りはほとんどなく、大聖堂を背に真っ直ぐな道がある。両側には幾つかの教会が並んでいる。

信者ではないが、滞在中この教会の早朝礼拝に出ているが、宗派は異なっていても敬虔な祈りは変わらない。この通りを自分だけで“祈りの道”と呼んでいる。

この道を抜けると広場があり、正面に女子修道院がある。その横に回廊様式の建物があり、そこに大理石の石台(テーブル)が置かれている。

華やかに栄えていたルネサンスの時代、フィレンツエの街が寝静まった真夜中、広場の暗闇から、黒いマントに身を隠した女がこの大理石の石台の上に赤子を入れたバスケット(籠)を置くと、逃げるように、また暗闇の中に消えて行った。

女子修道院二階の窓で夜通し見張っているシスターが急いで降りてきて、そのバスケットの中から赤子を抱き上げた。

石台の上に吾が子を捨てる女、捨てられる赤子、台座は人間の運命の分かれ道だった。フィレンツエではこの女子修道院を今でも「捨て子修道院」と呼んでいる

フィンッェに来ると何時もここに来て、華やかな時代のなか、その影となって生きた、名も無き弱い人間の運命に合掌する。

捨て子修道院と大理石の石台を後にして、祈りの道に戻ると、両側の建物の間からサンタ・マリア・テル・フィオーㇾ(花の聖母教会)と呼ばれている大聖堂のドーオモが真正面にそそり建っている。