pompeii ポンペイ遺跡の中で | 美術家 村岡信明 

美術家 村岡信明 

漂漂として 漠として  遠い異国で過ごす 孤独な時の流れ
これを 私は旅漂と呼んでいる

イタリアの旅漂

ポンペイ遺跡の中で

村 岡 信 明

イタリアに魅かれていた一つに、ポンペイ遺跡があった。

南イタリアの古代都市ポンペイは西暦632月、大地震で壊滅的な被害を受けた。その後長い年月をかけて復旧、復興しローマ帝国の貴族や富

豪の避暑地でもあり、商業の盛んな町として繁栄していた。

798月、ベスビオ山の大噴火でローマ帝国初期、繁栄の最盛期にあったポンペイは、降りしきる火山灰の下に埋没していった。

それから約1600年間、忘れられた町となっていたが、1748年から、本格的な発掘がはじめられた。しかし、発掘は半分とし、あと半分は後世の研究者の為に“未来への遺産”として遺されている。

私が最初に訪ねて行ったのは、1983年の秋だった。その頃は観光客も少なく、ポンペイの遺跡の中は雑草も生い茂っていて、今のように整理されていなかった。火山灰の中に遺され人間の形をした空洞に石膏を流し込んで型どった、石膏の人間像もその辺に幾つも置かれていたし、遺跡の中も自由に見ることができた。発掘された神殿や建築物は躯体だけが残っていて、まさに廃墟であった。

それでも、行き交う荷馬車の轍(わだち)にすり減った石畳みの道は、その頃の賑わいを今に伝えている。秘儀館遺跡には、ポンペイ朱と呼ばれている朱色の壁面に描かれたフレスコ画は現存する数少ないヘレニズム絵画として貴重であり、この秘儀を描いた原画は見応えがあった。

大きい建物の中に入ると昼でも暗く、目が慣れるまでに時間がかかった。その中に共同浴場があり、部屋の奥の方にたたみ二畳ほどの浴槽があった。私は石造りの浴槽の中に入ってあぐらをかくと、浴槽の深さは、ちょうど首のあたりだった。

当時の共同浴場、日本でいえば銭湯かな ? ,1,900年前、ポンペイの人達で賑わっていたであろう共同浴場の有様を想像していると、楽しいほど広がっていき ♪ いい湯だな♪ と気分までよくなってきた。

その時、数人の女性観光客が入ってきた。私は動かずにじっと浴槽の中にいた。しばらくすると、

 ギャァッ! ギャー!

彼女たちの叫び声が暗い浴場の中にひびき渡った。