出光美術館改装前の今年2弾目の展覧会は:

「出光美術館の軌跡 ここから、さきへII
出光佐三、美の交感─波山・放菴・ルオー」展。

 

出光美術館の(というか創業者出光佐三氏の)コレクションの中核は古美術です。

江戸時代より以前の作品が8-9割を占めるという話。

でも今回の展示は比較的新しい明治―昭和のもの、

つまり、佐三氏と同時代で、懇意にしていた板谷波山(陶芸家)と小杉放菴(画家)の2人の作品展です。

(プラス、日本画的要素があるという理由で佐三氏が集めた

ルオーとサム・フランシスの作品も少し。)

そしていつもながら、解説文が秀逸。

もうすぐ休業、、という思いもあって今回はことさらじっくり読んだので発見も多々。

 

佐三氏と2人の関係は、注文主と請負人、というドライなものではなく、

対等な信頼関係に立脚している点も特筆すべきでしょう。

つまり、注文主の好みに合わせて描かせる、作陶させるのではなく、

芸術家として敬い、時に酒を酌み交わして語らうなかで作品を手に入れていく。

作品展数からいうと、放菴も波山も、それぞれ一つの展覧会を十分開催できる量を所蔵し、

そのため、2人の同時展覧というのは、美術館開館58年の歴史の中でも今回が初めてだそう。

 

 

かねてから放菴の作品は、ナビ派のヴュイヤールのような震える線が特徴的だなぁ

と思ってきました。

決して定規で引いたようなシャープな直線は登場しない。

やや点描に寄せて描いた結果かなと思っていましたが、答えが今回判明。

麻紙というざらざらした紙に日本絵の具で描いたとのこと。

なるほど、それゆえの筆の揺らぎだったのか。

 

さらに、もともと洋画が出発点なので、シャヴァンヌの壁画などからも影響を受けている由。

ただ、パリで池大雅の複製画を目にしたことがきっかけで、日本画へと転じます。

所謂日本回帰ですが、それでも洋の部分を完全に手放したわけではなく、

和魂洋才といった特色をうかがわせるものも数多くあります。

 

佐三氏は、仙厓にも通じる素朴さを放菴のなかに見出し、せっせと収集したようです。

 

 

 

 

エピローグのコーナーには、放菴、波山それぞれ、佐三氏との関係のなかで

象徴的な作品がピックアップされています。

 

まずは、下の写真「天のうづめの命」。

出光のタンカー日章丸竣工のお祝いに放菴から送られたものでした。

収める箱には佐三氏が自筆で経緯を記しています。

今はこうして拝見できるけど、当時は船内に飾られていて、一般の人の目に触れることは

なかったのでしょうね。

 

岩戸に隠れた天照大神をおびき寄せるため、天のうづめの命が舞を披露する場面。

この踊る女神の顔は、笠置シズ子がモデルと言われています。

描かれたのは1951年。

戦争の傷跡がまだ残るなか、日本を明るく照らした笠置シズ子と重ね合わせている、

ということのよう。

 

ちなみに小杉放菴氏の孫は、先日愛住美術館でトークを聞いた画家・小杉小二郎氏です。

 

 

 

同じくエピローグのコーナーにあった波山作品は、写真右の茶碗など。

いわゆる命乞いにより救出された品です。

つまり、ほんの少しでも瑕疵があると、世には出せぬ、と

どんどん割って破壊していった波山に対し、どうか割らないで、鑑賞させてほしい

と佐三氏が頼み込んで手に入れたもの。

波山のストイックぶりは有名で、これまでも展覧会に行くたびに

完璧主義者エピソードを目にしてきました。

粉々になった作品は数知れず。

出光美術館の陶片コーナーにある、いかにも波山作品とおぼしき破片は、きっと

そうした不合格品からもたらされたのだろうな。

 

売りに出すことより、完璧なものを追求する姿勢ゆえ、

板谷一家は時に生活に窮したこともあるそう。

そんな家族を救う意図をもって、佐三氏が無理に手に入れたものもあるようです。

 

 

 

波山の方は、彫刻科出身なので、造形は轆轤の専門家に任せ、自分は表面の仕上げのみに専念。

表面に彫りが施された作品も多く見られます。

 

 

ちなみに本展には、東大安田講堂壁画の習作もありました。

タイトルは湧泉。

これまで安田講堂には2度入ったことがあるけど、この湧泉の絵は気づかず。

ただ、舞台正面にコの字型に放菴のパステル調の群像画が飾られていたのは覚えています。

講堂にしてはとても凝っていて美しいのが印象的でした。