随分前に樋口一葉記念館を初めて訪れたときは、吉原のロケーションを知らなかったので、

「たけくらべ」の吉原描写が生活に根差したものだという点はあまりピンときていませんでした。

 

でも、例の芸大美術館・大吉原展で得た情報によると、

自宅は遊郭にかなり近接していたとのこと。

そうと知り改めて一葉記念館を訪れたところ、当時の界隈の模型が制作されており、

距離感をビジュアルで確認できました。

 

 

 

遊女たちが逃走しないよう穿たれた大きなお堀・お歯黒どぶ(鉄漿溝)へは

自宅からわずか1ブロックです。

この図をもとに、かつてのお歯黒どぶの跡を探すことができそうです。

 

ただし気をつけなければならないのは、

一葉の当時の住居は現在の一葉記念館の場所ではない点。

 

 

旧居跡は、記念館に近いことは近いけれど、館を出て左に行って右に曲がって、、

といった感じだったと記憶します。

館内の地図に、記されているのですぐわかります。

 

 

確かに吉原はすぐ目と鼻の先です。

 

 

その辺をうろうろしていて、見つけました。

お歯黒どぶ(鉄漿溝)の遺構といわれている箇所です。

実際この道の片側のみが高くなっています。

溝がずっと掘られていた証拠でしょう。

 

 

ここもそう。

住所を見ると今の千束4丁目40番のあたり。

 

 

吉原公園だったかな?

ここも、公園側だけが一段と高くなっており、この道はすなわち溝だったことがわかります。

 

 

内幸町の生家跡を確認したり、どぶを同定したり、

われながら物好きだなぁ・・・