建築家・槇文彦氏さんが95歳で亡くなったと知り、
今日のブログは急遽予定を変更して、槇さんの話題を。
私が日吉キャンパスで慶應コンビ・槇文彦x谷口吉生さんの対談を聞いたのは
いつだっけ?とブログを確認したところ、今から5年前の7月。
ということは槙さん御年90歳のとき。
当時ブログにも記した通り、あの時の対談は、寡黙な谷口氏をしり目に、
もっぱら9歳年上の槇文彦氏がリード。
ほぼMCみたいな感じで、パワポもひとりで操作しておられました。90歳で。
槇氏のエピソードで好きなのは、母校慶應義塾大三田キャンパスの新図書館建設の裏話。
(槇氏は幼稚舎から慶應で、大学は途中で東大へスイッチ。)
当初、母校の建築を引き受けたいという野望はなし。
ところが、慶應にゆかりのない黒川紀章さんが設計者に名乗りをあげているという噂が流れます。
その話を聞いて、突如奮い立った槇氏。
黒川氏が担当するぐらいなら、、と突如ロビー活動を開始し、当時の石川塾長にも談判。
見事三田図書館を担当し、次いで日吉新図書館の方も手中に収めます・・。
旧図書館はたいそう立派な文化財建築だし、三田の顔とも言える存在。
それだけに、この新図書館を作るにあたっては、相当あれこれ考え抜いたのでは?
まずは旧図書館の呪縛から逃れる必要があっただろうな。
三田図書館
日吉図書館
あのとき、聴衆の中には、妹島和世さんの顔も見えました。
これまでブログにしたためた槇さん(or 槇総合計画事務所)が手掛けた名建築を以下に:
WIKIには出てないけれど、直近の作として思い出深いのがこれ。
2020年完成のイカ・トイレ。
博報堂出身でPR上手な渋谷区長が立ち上げた公衆トイレ大改革「THE TOKYO TOILET」の一環です。
2020年、コロナで遠出を避けていた頃、歩いて行ける「THE TOKYO TOILET」参画のトイレを
あちこちで見るのが趣味になっていたっけなぁ。
映画『PERFECT DAYS』で、これらトイレが一気に知名度を上げたのでした。
イカ・トイレの名称は、イカっぽい姿だから、というだけでなく、
通称タコ公園の一角にあるから、というのもその理由かと思います。
●代官山ヒルサイドテラスとその一帯
やっぱり槇さんといえば、ダントツ代官山が一番馴染みがあるかな。
ヒルサイドテラス一群がとてもオシャレに映っていた学生時代、
この街を歩くと気分がアップした記憶。
この土地をがっぽり所有していた朝倉家が槇氏を見込んで、
一手に開発を引き受けてほしいと依頼した、、そんな話も対談で披歴していた記憶があります。
広い土地を所有していたのだなぁと感心していたら、とんでもない、もとの土地は
それよりはるかに広大だったそう。
戦後大半を手放し、わずかに残った(!)のが、ヒルサイドテラス一帯の土地だったと。
ヒルサイドテラスA棟とB棟
C棟(1973年)とD棟(77年)
E棟(77年)とH棟(92年)
テラスF棟。
そしてヒルサイドテラスに隣接するデンマーク大使館も氏が手掛けています。
それに続くビルも。
これら、槇氏作とは知らずに、たまたま一帯散策の時に写真に収めていたもの。
なので特に左は構図もなにもなく中途半端な写真。
ヒルサイドウェスト(下左)とセダストーンヴィラA棟
●横浜市役所
母方祖父が竹中工務店元会長ということで、
こちらもやはり槇総合計画事務所x竹中工務店のコラボ。
このあたりはめったに行かないので、いつの間にこんなのができたの?
・・・と思ったら、前年の2020年完成だったみたいです。
2021年、桜木町界隈を用事で訪れていて見つけました。
●京都国立近代美術館
この時は目的地が京セラ美術館だったので入らなかったけど、展示はともかく、
カフェだけでも入ればよかったな。
東近美の年間パスホルダーなので、ここも常設展なら無料で見れたんだけど。
(さらにカフェは展示を見なくても利用OKみたい。)
90歳、ステージでお見かけした姿はお元気でした。
話の途中で別の話題がさしはさまれ、何の話だったっけ、みたいなのはあったけど、
そういうのはよくある話だし、特に檀上ともなるとあれこれせわしなくいろいろ
思考が飛ぶわけで。
とにかくかくしゃくとしておられるなぁ、という印象が強かったです。
ご冥福をお祈りいたします。