◆ 故・谷口吉郎氏が手掛けた慶應義塾大学寄宿舎は、米軍に接収され、お風呂は●●●に転用
写真左は、代官山ヒルズを一手に引き受けるなど、身近な建築物を次々手掛けた建築家の大御所 槇文彦氏。
御年90歳ながら、実にかくしゃくとされています。
右は、親子二代にわたり、東京国立博物館の建造物を手掛け(父の吉郎氏は東洋館・息子は法隆寺館)、同じく親子二代にわたり日経新聞私の履歴書に連載された谷口吉生氏。
そんなビッグなおふたりがそろった慶應建築談義。
会場には、金沢21世紀美術館の建築でも知られる妹島和世さんの姿もありました。
槇文彦氏は慶應義塾幼稚舎出身で、慶應工学部から東大建築学科へ。
幻の門そばに建てられたレンガ建ての古式ゆかしい三田旧図書館とはまったく趣を異にする新図書館をキャンパス内に建設するなど、数々義塾関連建築を手がけています。
一方、谷口吉生氏は、慶應義塾大学工学部機械工学科からハーバード大建築学科大学院へ。
海外の建築学部を出て一級建築士の資格を取得した第一号だそう。
父の吉郎氏同様、やはり慶應建築には欠かせない人物。
そんな慶應ゆかりのおふたりの建築よもやま話はもりだくさん。
そんな数々の秘話のなかでも特に印象に残ったのは、谷口吉生氏の父吉郎氏が手掛けた慶應義塾大学日吉寄宿舎です。
(1938年)
当時の写真を見るとわかるとおり、丸いお風呂、(いまならさながらジャグジーの趣)がでーんと締めているこの場所は、戦後アメリカ軍に接収されたといいます。
そして彼らは、これをあるものに転用していました。
お風呂ではなくーーー
バーとして使っていたんだとか。
時代を感じさせる逸話でした。
さらにこちらは同じく吉郎氏が作った大学生学生ホール。
室内の装飾用に、知り合いのアーティストに作品を作ってもらったといい、奥には猪熊弦一郎氏作、《デモクラシー》が見えます。
以前ブログに記した通り、(・慶応三田キャンパスの美術品 イサムノグチ、猪熊弦一郎)、この壁画は、いま三田キャンパスの生協食堂にあります。
上と対応する絵が、下の一枚。
3年前の撮影です。
対になる作品も対面に掛かっていました。
猪熊弦一郎氏といえば、上野駅のこの壁画でもおなじみ。
とはいえ彼がこうしたフォークロリックな作品を残したのは一時期だけで、
その後ニューヨークに渡ってからは大胆な抽象画家に転じています。
いつか目黒美術館で猪熊氏の後期の作品展示があり、あまりの違いに驚いたほど。
こうして父の谷口吉郎氏は、猪熊氏の作品を用いるなどしてコラボしたのですが、
息子の吉生氏のほうは、丸亀市猪熊弦一郎現代美術館の建築を手掛けています。
父と猪熊氏の関係が、息子に引き継がれたというわけです。
ちなみに対談のほうはもっぱら目上の槇文彦氏が進行役。
谷口吉生氏のほうは、多弁なたちではないとかで、スライドのページ送りもすべて槇さんが担当していました。
日本の建築界をけん引し続けるおふたりの話はダイナミック。
ビジネスではない古巣でのおしゃべりということもあって、話のベクトルが自由奔放に飛びかい、心地よいひとときでした。