自由学園明日館の建築ツアーの続きを。
現在でこそ、美しいまま残されている自由学園明日館ですが、
かつては傷みが激しく取り壊しの話が持ち上がり、マンション計画も具体化していました。
というのもこの学園はすぐに手狭になり、13年間使ったのちに学校機能は東久留米に移転。
その後こちらは事務所機能程度が残っていただけで、手入れも不十分だったようです。
しかしそこへ保存運動が起こり、協議を経て保存に至ります。
重要文化財指定を受けたのは1997年のこと。
ところがここで自由学園は、重文の認定を受ける代わりに、、ということである条件を出します。
重文指定なんて、受け手の側にとっては光栄なこと。
受けるにあたり条件を出したのは、後にも先にも自由学園だけ、という話も。
当時、認可されてしまうと文化財ということで当該建築物の使用は不可という時代でした。
しかし学園側は、重文指定後の使用を可能にすること、という条件を提出。
使ってこそ建物は生きる、という思想ゆえの条件でした。
重文に関しては時代の変わり目だったこともあり、この要求は受け入れられます。
結果、今では教室や講堂を使用して、様々な教室や結婚式などが行われています。
建築の宝を守るべく、とにかく傷み始める前に修復する、先手先手の手入れに力を入れています。
下の写真は、TVドラマ「相棒」でもかつてオープニングに使われた場所。
幾何学模様の窓や、天井の線が印象的。
こちらも天井にライン。
フランク・ロイド・ライトが自由学園と同時期に手掛けた帝国ホテルの意匠と比べると、
共通点・類似点がそこかしこに感じられます。
去年12月に見た明治村にある帝国ホテル中央玄関の写真を見てみると、
白地にブラウンのシャープなラインという趣向が見られます。
(帝国ホテル中央玄関の写真)
自由学園の教室には、六角椅子がズラリ。
ロイドの設計か、弟子の遠藤新の設計かは不明。
どちらかが作ったことは間違いないそうです。
帝国ホテル中央玄関の復元でも、類似の椅子がありました。
(帝国ホテル中央玄関の写真)
自由学園の広間にも六角椅子。
その背後には、大谷石の柱が見られますがー
明治村の帝国ホテル中央玄関にも、大谷石が多用されています。
帝国ホテル用の建築資材を流用しちゃった、、みたいな裏話が
テレビ番組「名建築で昼食を」で語られていたのを思い出します。
(帝国ホテル中央玄関の写真)