連休中、久しぶりに池袋にある自由学園明日館(みょうにちかん)を訪れました。

今更説明不要かもしれませんが、もともとこちらの建物は、

婦人之友社設立者である羽仁吉一・もと子夫妻が設立した女学校でした。

自身の子どもを学校に入れることになったとき、理想の学校が見つからず。

ならば自分たちが思い描く教育思想を体現する学校を作ってしまえ、という

なんとも大胆な行動により、開校しました。

 

前回の訪問はコロナ勃発の前年の春。(旧帝国ホテル設計者ライトが建てた建物で夜会

 

その時に比べて、建築ツアーがパワーアップしていました。

訪問者の増加とともに引率型のツアーを廃止。

講堂に集合し、座って説明を聞くスタイルに変えたのが吉と出ました。

移動時間のタイムロスが減り、じっくり腰を据えた説明が可能に。

以前より説明内容が盛りだくさんでした。

 

こちらが、フランク・ロイド・ライトが手掛けた中央棟。

 

 

 

一方、建築ツアーの開催場所となった「講堂」はその向かい側にあります↓。

自由学園明日館は、上述通り、自分たちの子どもを通わせる、という切迫した

ニーズがあったため、新学期に間に合わせるべく建築途中で開校。

1921年春の事です。

 

その後東教室や講堂が順次建てられます。

東教室は、ロイドの設計で、ロイド帰国後、完成させたのは弟子の遠藤新氏。

 

講堂のほうはさらにあとのことなので、基本設計当初から遠藤氏が担当しました。↓

この小ぶりのたてものがそれで、本館から切り離され、独立しています。

 

 

こちらの講堂で、建築ツアーが開催されました。

 

 


講堂の内部ですが、まず入ると正面にステージがあります(上の写真と下の写真)。
教会のようなベンチ型の椅子が並びます。

その背面はどうなっているかというとー 

 

 

 

2階建てになっていて、2階の天井は正面部分から黒い線の模様でつながっています。

 

 

正面から背面を眺めると、こんな感じ。丁度ツアー開始前の風景です。

 

 

 

2階を下から見上げると手すり部分が目隠しになって椅子が全く見えません。

 

 

 

ロイドのこだわりが見られるこの2階部分。

いまはカラフルな椅子が置かれていますが、

当初は椅子はなく、床に座ることをベースに設計されています。

ある特殊な効果を得るために。

 

 

 

下の左の写真は、椅子に座って正面を眺めた時の光景。

右は床に座した時の光景。

床に座ると、手すりとステージの位置が重なるように設計されており、

どこに陣取っても、2階からは一階の椅子席が見えないような仕掛けです。

 

 

 

1F席の椅子には縞模様のクッションが置かれていますが、これは

311の後に用意された西川の無圧クッションです。

311の教訓をもとに、災害時に避難場所として使用することを想定。

椅子をベットにコンバートできるように工夫したのです。

 

 

 

さらに、トリビア的な裏話も聞きました。

こちらは1階の背面側のスペース(2階席の下)。

下の写真では、2段の階段になっていますが、もともとは1段でした。

つまり、その1段分がかなり高く、結婚式場として使う場合、

花嫁さん入場の際に危険視されました。

でも、重要文化財なので、階段をとり付けるわけにはいかない!

そこで考え付いたのが、可動式の台を置くこと。

台なら設計変更でなく家具扱い。

高い段の手前にひとつ台を置くことで、2段の階段になりました。

 

 

講堂内の幾何学模様。

中央棟と呼応しています。

 

 

 

講堂内にはトイレもあり。

女学校なので女子トイレx3、男子トイレx1。

前者は取り換えがあったものの、男子トイレのほうは建築当時のまま。

日本製としては初の便器ともいえる貴重なものらしいです。

その証拠に、TOTOの関係者が、年代特定の為に調査に訪れたそう。

そのときのかなり詳細なレポートが残っています。

 

実は2015年~2017年の講堂改修まで、このトイレの存在は知られておらず。

入り口が塞がれていたからです。

おかげでトイレの壁は昭和2年当時のまま。

 

さらに女子トイレのペーパーホルダーの位置が後ろ。

どうやら当時は逆向きに跨いで使っていたようです。

 

 

 

 

長くなったので、メインの棟の話などはまた後日。

最後に2019年夜会の時の写真を3枚ほど。