藝大美術館の「大吉原展」を見てからというもの、吉原という場所が
夢の舞台などではなく、ちょっと電車に乗ればたどり着ける場所に
確かに存在したのだ、、、と実感。
その感覚が薄くなる前に、、とばかり吉原界隈の生活が鮮やかに浮かび上がる
樋口一葉「たけくらべ」を読み始めました。
現代訳と原文が交互に出ていて、かつ時代背景的解説が載っている
すぐれものの一冊が読みやすく、便利です(文末に当該書を紹介)。
一時期吉原界隈に住んでいたという一葉。
吉原独特の空気感を思う存分本作に取り込んでいます。
むろん廓の中に暮らしたわけではないので、客目線ではなく、
中で生活の糧を得ている人や、その周辺で商いをしている人、その風習など、
市井の人々の実生活があります。
ファッションリーダー的存在だった遊女たちの影響を受け、
子供だてらに、こましゃくれた様子で着崩したりする様子はリアルです。
そこに住んだ実感に、人間観察の鋭さと細やかな感性が加わった
珠玉の一作です。
「たけくらべ」冒頭からして大門、見返り柳やお歯ぐろ溝の言葉が登場。
実際に付近を歩いただけに、ビジュアルで思い描くことができます。
廻れば大門の見返り柳いと長けれど、お齒ぐろ溝に燈火うつる三階の騷ぎも・・
娘たちがほおずきを口に含むしぐさに、人々が眉を顰めるというシーンなどは
解説のおかげで納得。
十五六の小癪なるが酸漿ふくんで此姿はと目をふさぐ人もあるべし
当時遊女たちはほおずきの根を利用して堕胎をしていた、、そんな背景があったそう。
大吉原展・現地吉原に行って樋口一葉を思い出した要因はいくつかあります。
まずは、展覧会場で鏑木清方筆「たけくらべ」の主人公美登里の絵を見たこと。
そういえば鏑木は、樋口一葉の肖像画も描いていましたっけ。
東近美の鏑木清方展で目にしました。
次に、吉原で真っ先に訪れた吉原神社にて。
受付の窓にこれ↓が貼られていました。
一葉記念館、意外に近いんだ、、と気づき。
2007年に一葉記念館に行っているけど、入谷駅から行ったことも手伝って、
吉原が脳内地図に入り込む隙はありませんでした。
さらに、吉原訪問の帰り道、三ノ輪駅に行く途中、こちらが一葉記念館という案内板を目撃。
吉原からの近さを再度実感しました。
この地図に、鷲神社というのが大きく書かれていたので、行くべき場所かなと
行ってみることに。
酉の市発祥の神社ということで、「たけくらべ」にも登場している神社だと
後で知りました。
これが鷲神社。
境内で、樋口一葉文学碑その他を発見。
樋口一葉玉梓乃碑。
この部分は、文学指導を仰いだ半井桃水に宛・未発表の書簡文。
一葉の真跡である旨保証付き(左側)です!!
一葉の師というと、半井桃水だけでなく、中島歌子もしかり。
下は牛神社で見た中島歌子の歌碑ですが、その横には歌碑説明がありーーー
樋口一葉が門弟である、と確かに書かれています。
中島歌子は半井と別れるよう進言したり、なにかにつけ一葉に対してつれなかったらしいですが。
牛神社そばには、中島歌子の歌塾「萩の舎」跡の印。
実際の萩の舎跡の説明文:
萩の舎跡は大体どのあたりかというと、、
浪越徳次郎さんの銅像(+指圧教室)のすぐそばです。
つまり伝通院そばです。
2007年の写真。一葉記念館入り口にて。↓
中の展示云々よりもとにかく、記念館が近代的過ぎて、なんとなく
明治期生活に苦労した上に早世だった人を想起するのが難しく。
立派な業績に立派な記念館(柳澤孝彦氏設計)という趣旨なのでしょうが、
その違和感が先に建ってしまいました。
展示の中で覚えているものといったら、樋口一葉が印刷された五千円札の展示で、
記番号が2番だったこと。記番号1番は、日本銀行にて保管されているそうです。
これはもう一度、記念館に行かねばならないな。
前回吉原訪問時には、夜も更けたころで閉館でした。
大吉原展を見たあと、それを確かめるべく吉原に行き、
さらに「たけくらべ」でさらにその世界に浸る・・
一つの展示のあと、2度、3度と余韻を味わいました。