東京藝術大学大学美術館で「大吉原展」を鑑賞。

聞いていた通り力のこもった内容で、所要時間は3時間。

見るに至ったキッカケを以下箇条書き:

 

・4月上旬、江戸風物に関する古田亮先生の講演会を拝聴しに行ったところ、

 中身は「大吉原展」の宣伝だった。(先生は同美術館館長)→ それまで行くつもりは

 なかったものの、先生の話術もあいまり興味を持つ

 

・その後、同展覧会がSNSで大炎上中だと知る。負の側面を説明せず、まるで吉原賛美。

 女性虐待を肯定している、と。(炎上と言えば、実際に吉原は何度も放火に見舞われたし、

 さらに「吉原炎上」なんていう映画もあった。)

 

・先週土曜日、元法政大学長・田中優子先生の講演会で、開催意図を拝聴。

 遊郭は2度と出現してはならない存在。ただ、文化継承の場であったことを忘れてはならない。

 また、遊女たちは描かれる対象であっただけでなく、

 芸事に打ち込み、実際本人が手掛けた画や書も残っている(展覧会で紹介中)。

 花魁たちは教養を身につけた存在だった。

 

田中先生の言葉に共感できたので、見に行くことに。

彼女らがひとつの文化を牽引した存在だったという視点を持つ・・・

それはあまたの遊女・遊郭を描いてきた浮世絵を真に理解するうえで重要と言えそう、、、

ということで。

 

 

↓●吉原弁財天で見かけた記事の切り抜き。奇しくも「吉原炎上」に関する記事!

 

 

↓●かの田中優子先生の講演会だけあって大盛況。教員もびっくり。

この階段教室が全部埋まったのは見たことない!と。

のみならず、倍の人数が来たので、別室でビデオ上映、更に溢れた人たち用に、

廊下でもビデオ上映の措置。

 

 

遊女たちの芸術的素養については、抱一と小鸞女史・夫婦合作の「紅梅図」

からもうかがえます(最後の部屋に展示中)。

酒井抱一が遊女・香川(小鸞女史)の見受けをしたことは今回初めて知りました。

いつもの抱一らしい筆さばきではないのは、私的な作品という性格ゆえでしょうか。

ちょっと渋い風情の梅の図に、小鸞女史による賛が添えられています。

これを見ることができただけでも収穫です。

 

また、山東京伝は、遊女お菊の見受けをしたあと先立たれ、その後

若い玉の井と再婚。

彼が描く遊郭の絵は実体験を写しとったものだったと実感しました。

(以前ブログに書いたとおり、山東京伝は、北尾政演という名で浮世絵を描いています。

自由闊達で大胆、とか、とても個性的、というわけではないけれど。)

 

ついでに、↓以前ブログにしたためた山東京伝の机塚。

日経新聞小説「秘密の花壇」(朝井まかてさん作)が好きだったので、

探し出して行ってきました。

主人公は滝沢馬琴だけど、山東京伝もちょくちょく登場しました。

 

 

 

 

特に最後の展示室にはたまげました。

まるで遊郭を歩いているかのように、鑑賞する趣向。

中央に仲通りもどきの道筋がつけられ、両側に遊郭ならぬ展示室が小分けにされています。

展示室入り口には、実際の道名である京町二丁目、とか江戸町二丁目、などの表示。

それぞれの展示室はテーマ別になっていて、よそおいとか、出火後の仮宅営業の様子とか。

これはある種体験型の企画。

 

一方で、こうした趣向が本展の遊興的方向性を強調し、ある種の軽薄さを感じさせ、

SNSでの批判の一端にもなったかもしれません。

私は、浮世絵に描かれた世界が身近に感じられてよかったですけれど。

 

なお、赤丸が大門。

矢印で示したとおり、入り口手前は道が曲がっています。

それゆえ、外の人が吉原の中をうかがい見ることはできません。

今もその道は昔のそのまま蛇行しています。

 

(写真は吉原神社の掲示板から)

 

それがこの部分。

(上野からぶらぶら歩いて吉原に向かいました。)

 

曲がりくねった道の先が吉原の入り口、「よし原大門」の文字。

 

 

私たちは吉原の入り口とは逆方向から行ったので、門はなく。

(当時は大門一か所からしか出入りできず。しかも夜中は逃亡防止で門は閉じられた。)

でも、下の写真のように、突如道の両側の街灯がレトロになり、雰囲気を醸していたので、

ああすでに吉原に入ったんだ、と気づきました。

ここをまっすぐ行くと入り口の大門です。

遊女たちが逃げられないように出入り口は一か所、夜間は閉門、、

というのはヴェネチアのゲットーを思い出します。

ユダヤ人たちの出入りの自由を奪うため、ゲートが設けられ、夜は締め切られたという

忌々しき過去がありました。

 

さらに吉原の場合は、これまた逃亡を防ぐべく、四方に堀をめぐらしていたといいます。

 

 

 

一方、吉原を出たお客たちが未練がましく振り返ったというのがこちら。

柳が植えられていることから、見返りの柳と名付けられています。

 

 

 

大門付近のメインストリートから派生する横の道には、

鶯谷よろしくある種のホテルがズラリ。在りし日の名残り、といわんばかりに。

奥に行くほど(入り口とは逆方向)この光景は薄れていきました。

 

 

 

いまだに吉原の名前があちこちにつけられているというのも初めて知ったこと。

派出所、診療所、交差店名、さらに吉原会館という建物も発見。

 

 

 

なお、本展では、江戸風俗人形のみ写真撮影OK。

江戸風俗人形で見る、遊郭・花魁道中など。

 

 

 

 

会期は5月19日まで。