「大吉原展」で「中村竹三郎・三浦屋小紫図」菱川師胤を見て、
白井権八・小紫の悲恋を思い出しました。
白井権八は、本名を平井権八郎直定(通称・平井権八)といい、
実在の人物です。(白井・・というのは歌舞伎で使われた名前らしい)
江戸時代初期、生活に困窮し、辻斬りなどの悪事に染まり、ついに処刑。
それを知った恋人の小紫(三浦屋の遊女)は後を追って自害します。
この辺までは、目黒不動尊の比翼塚の説明その他で知り、ブログにも記したことがあります。
でも、この悲恋がさらなる悲劇を生んでいたことを今回初めて知りました。
まずは目黒不動尊(瀧泉寺)で見た権八・小紫の比翼塚↓
小紫が自害したのは権八の墓があった目黒の東昌寺だったと言われます。
(つまり小紫が権八の死を知ったのは処刑後。東昌寺の僧が引き取り、埋葬した後ということ。
SNS時代とは異なり、情報伝達のゆるやかさよ。)
しかしその後、東昌寺が廃寺となったため、この地に移動した由。
比翼塚= 情死あるいはあと追い心中した男女を一所に合葬して建てた塚(コトバンクの定義)
白井権八・小紫の名前が見えます。
このあと続いた悲劇というのは、年若い禿(かむろ)の身に起こります。
三浦屋では、小紫の帰りが遅いことを心配し、禿に迎えに行かせます。
そこで事実を知った禿は、悲嘆に暮れつつ帰途に就きます。
突如ものかげから躍り出てきたのは弱者を狙う悪党ども。
助けを求めるもむなしく、禿は池に飛び込んで命尽きます。
その死を悼み、現場はかむろ塚と呼ばれ、他にも「かむろ」と名の付く場所が散見されました。
町の変化で塚は消滅。かろうじて「かむろ坂」の名が残るのみ。
目黒ではほかに権八・小紫の物語を知ることができます。
(先日あやまって書きかけのものがアップされてしまったので、
以下、その生焼けの原稿と幾分重複します。)
ホテル雅叙園東京 百段階段・鏑木清方の間に、白井権八の肖像画があります。
目黒名所風景図白井権八
コロナが猛威をふるった2020年、百段階段では、予定していた特別展を中止。
代わりに展示物を取り去った、芸術的な部屋そのものを鑑賞する趣向に変更となりました。
各部屋には、解説ビデオが設置され、様々な気づきがありました。
小紫はあやめで表されています。
雅叙園、目黒不動尊、かむろ坂・・・・
目黒駅周辺のちょっとした範囲内でカバーできる散歩コースです。
でも、裏に隠された小さな歴史をすくいあげれば、
地味な散歩も壮大なドラマを見せてくれるかも?!
*** 先日誤ってアップした部分を一部再掲 ***
「大吉原展」の最後の展示会場に、遊女たちの写真がありました。
写真技術導入後、ということは明治期以降、吉原が以前ほど芸の鍛錬の場で
なくなってからの時代のものばかりです。
作品タイトル:写真絵葉書 新吉原花魁道中 稲本楼(小紫)大正3年。
この小紫は、むろん、江戸初期に実在した三浦屋の小紫とは時代的にも異なります。
ただ、ともに美貌で名高い花魁だったようです。