アーティゾン美術館で開催中のローランサン展にて、所感その2。

 

「セルジュ・ド・ディアギレフ(セルゲイ・ディアギレフ)のバレエ・リュス」

と書かれたピカソ画のバレエ・リュス公式プログラムを見て、あれーー、これ!

あの絵と瓜二つじゃない?

 

 

 

同じくピカソの「女の顔」。

今回展示に含まれているので、当該展示室に行き見比べてみました。

首をかしげる角度がちょっと違ってた。

でも、2つともピカソ新古典主義の同時代に描かれたことは間違いないでしょう。

 

 

 

2008年、パリのピカソ美術館が改修工事に入り、その間絵画一式がどっさり来日しました。

それらは、サントリー美術館と国立新美術館の2か所に振り分けて同時展示。

そのうちサントリー美術館のピカソ展は、時代の流れをより追った内容になっており、

特に新古典主義時代がピカソの画業のなかでも、大きな転換期であったことがうかがわれました。

この2つの絵も、そうした時代の特色がくっきり出ています。

 

 

 

ちなみに「女の顔」の絵は、今ローランサン展の会場にありますが、

少し分断された一室に展示されています。↓

 

ローランサンに影響を与えた4人の画家、という特集コーナーです。

中央にローランサンの絵。

あとの4枚はアーティゾン所蔵のもので、左からピカソ、ブラック、(ローランサン、)

マティス、ドランです。

 

彼女の時代は、女性画家がようやくボザール= beaux artsへの入学を許され始めたころ

のはずで、(彼女はボザール出身ではないけど)女流画家が地位を築くのは大変だったのでは、

と思えます。

でも、ドランが引き合わせたピカソ、ブラック、マティスらは正当に彼女を評価した模様。

アカデミズムから脱却して久しいパリの芸術界には自由でフレキシブルな空気が

流れていたようです。

(フランスってmisogynie=女性蔑視という言葉が結構近代でも聞かれるほど

意外に男女平等が遅れているのです。)

 

 

 

さて、日本とローランサンについても考えさせられた本展。

三越での展覧会カタログがあったのですが、なんと戦前、1925年の展覧会。

そこにローランサンの名前が早くもあります。

彼女の没年は1956年だから、余裕で存命中。

 

 

 

赤枠がローランサン。

夫人という呼称が微笑ましい。

 

ピンクのハイライトは、こんな画家もきてたの?と驚いた人たち。

いまではもう埋没してしまった感がある

アンドレ=デュノワイエ・ド・スゴンザックとか
オトン・フリエスとかアンリ・ド・ワロキエなど。

時代の好みがわかります。

 

 

 

ヨーロッパの美術館でローランサンを目にする機会はごくまれ、という印象があります。

もっぱら日本でばかり目にするような。

実は彼女の絵は仏国家買い上げでポンピドーに多く収められているのですけれど。

 

一時期ローランサンに対する評価が世界的に落ちたときも、日本での人気は揺るがず。

ローランサン美術館なるものも日本にはあり、国内ではコンスタントに人気を

維持してきた印象です。

 

1915年にはローランサンは堀口大学と知己を得ています。

 

 

堀口が訳したローランサンの詩も展示されています。