日経新聞の連載小説、辻原登氏作「陥穽 陸奥宗光の青春」に登場する

アーネスト・サトウの足跡が知りたくて、先日日光に行ったわけですが、

さらにもう一か所、この小説がらみで尋ねた場所があります。


本作主人公であり外務大臣経験者・陸奥宗光の別邸跡地です。

場所は大磯にある明治記念大磯邸園内。

同じ邸園内には、大隈重信の別邸もあります。

 

互いに近接する陸奥宗光と大隈重信の別邸は、

のちに古河財閥で知られる古河家(創業者は古河市兵衛)により継承されます。

 

しかし旧陸奥宗光別邸を引き継いだ古河別別邸の方は、

古河3代目当主のときに関東大震災で倒壊。

葛西田中建築事務所の設計により建て直されました。つまり、今ここにあるのは:

 

・大隈重信別邸/古河別邸

・陸奥宗光別邸/古河別邸 =>(震災/建て替え)=>陸奥宗光別邸/古河別邸

ということになります。

 

かつて陸奥宗光が暮らした建物自体はもう現存しないわけですが、

海にほど近い優雅な別邸暮らしは実感できました。

素晴らしいロケーションです。

 


さらに今、保存改修工事中で建物見学は不可。

庭園から外観を眺めることしかできません。

HPでその事情は知っていたものの、全面公開は2025年とのことなので、

改修の様子だけでも見られればいいし、行けるときに行っておこう、というわけです。

 

行けるときに、、、、

そう、こちらを訪問したのは、以前記事にした山口蓬春のアトリエ(逗子)見学のあと。

相模湾方面に行く機会は余りないので、ついでに行くことに決めました。

とはいえアトリエ見物で時間をとられたので、到着は閉園30分前。ギリギリセーフ!

 

 

 

 

旧大隈別邸/古河別邸。ジャッキにより建物が150㎝も持ち上げられていました。

今現在はすでに、作業は終わり、建物は元の位置まで戻されているようです。

 

 


 

 

陸奥宗光別邸跡・旧古河別邸

 

 

やはり150㎝ほどジャッキアップ。

旧大隈邸の方とは異なり、こちらのほうは今日現在も、まだジャッキアップ作業は続いているようです。(公式HP情報)

 

 

 

 

大隈重信は風呂好きだったといい、
こちらは、邸宅南の浴室跡から見つかった五右衛門風呂。
底が熱くなるので裸足では入ることができません。
明治22年に襲撃され右足切断。義足暮らしだった大隈は、
はたして片足だけ下駄をはいて縮こまってこの五右衛門風呂に
入っていたのでしょうか?
身長180㎝の堂々たる体格だったようですが。

 

 

 

当時は柵などなく、前の道の往来も限られたでしょう。

海が敷地の一部のように感じられたのでは?

 

 

 

隈研吾建築都市設計事務所が設計・デザインした四阿(あずまや)が新設。

新名所目指して、やる気満々。

 

 

 

三代目当主・古河虎之助が建てた本邸、現在の旧古河庭園(北区)はバラ園で有名です。

同時期に虎之助氏は、こちらの大磯の別邸にもバラ園を作ったようです。

本家に比べると規模はぐっと小さいものですが。

 

 

 

 

園内の案内を見たところ、

隣接する土地には西園寺公望別邸跡・旧池田成彬邸や伊藤博文邸跡・旧李王家別邸

もある模様。

明治記念大磯邸園内のスタッフの方に伺ったところ、残念ながらそちらのほうは

敷地全体未公開だそうです。

でも、看板を見る限り、いずれ4つの建物すべて公開されるのでは?

 



 

↓外務省にある陸奥宗光の銅像再掲(6/7のブログ

 

 

続くーー