5/21に続き、再び、日経新聞朝刊の新聞小説「陥穽 陸奥宗光の青春」(筆者・辻原登氏)関連のお話を。

 

本小説は、以下の一文で始まります:

現在、外務省には陸奥宗光の銅像が二つある。

 

そして、この銅像にまつわるエピソードが紹介されます。外務省の情報と合わせると:

・銅像は霞が関の外務省と神奈川県の同省研究所にあり、前者は、1907年に原敬らが

発起人となり建立された;

・作者は東京美術学校教授・藤田文蔵;

・その後戦争へと突入し、軍需物資として金属回収が行われ、供出を余儀なくされる;

・しかし、彫像復興を念頭に、頭部のみ寸断して供出せず、都内、次いで栃木県に秘匿された;

・戦後、陸奥宗光没後70年の記念に彫像復興計画が持ち上がる;

・アリスティド・マイヨールの唯一の日本人直弟子・山本豊市がオリジナルの頭部を使って全身の銅像に仕立てた。

 

そして、その外務省にある銅像というのがこちら;

 

 

 

外務省敷地内なので、以前仕事で中に入ったついでにそそっと撮影。

普段見慣れた朝倉文雄などの銅像に比べると、人間らしさを出そうというより

銅像らしさを演出しようとするかのような造形。

外務大臣時代の異名である「カミソリ刀大臣」という側面を全面に押し出すようでもあり。

ちょっと板垣退助風でもあり。

没したのが53歳というわりに老け顔でもあり?!

 

 

 

上述どおり、藤田文蔵と山本豊市の合作といってもいいような銅像。

山本豊市という名前は初耳で、チェックしたところ、マイヨールのまえには戸張孤雁に師事していたとのこと。

戸張孤雁というと例の中村屋サロンの一員。

碌山美術館や東近美、中村屋サロン美術館で作品を見ることができます。

 

 

 

戸張孤雁は、同じ中村屋サロンの先輩・萩原碌山の流れをくむ彫刻家。

中村屋サロン美術館開館1周年記念展が戸張孤雁展でした。

 

以下は、戸張孤雁の師匠ともいえる萩原碌山の有名な作品「女」。

当時碌山が恋焦がれた中村屋の主人の妻、相馬黒光さんの面影を宿す作品です。

(以前記したとおり、相馬黒光さんは、元W杯日本代表・相馬勇紀選手の高祖母。)

 

 

 

戸張孤雁展が開催された中村屋開館1周年記念では、中村屋の月餅が配布されました。

絵柄は碌山の「女」です。

 

 

 

陸奥宗光の銅像のプレートは、吉田茂が揮毫。

吉田氏は、建立推進メンバー名誉会長でした。

除幕式は1966年12月15日。その10カ月後に吉田氏は没します。

 

 

銅像裏のプレート。

名誉会長・吉田茂の名前が。

 

 

 


「戦時中、金属供出命令をかいくぐった銅像たち」というタイトルをつけたとおり、

この陸奥宗光像だけでなく、ほかにも供出を免れたエピソードなどを耳にしたことがあります。

 

・大原美術館のロダン像(どの像だったかは失念、ヨハネ像だったかカレーの市民だったか?)

供出命令が出たものの、必死で抵抗。
個の彫像は市民のためになってると除外嘆願をして受け入れられたと聞きます。

 

・大阪芝川ビルの青銅器プレート
彫像ではないけれど、やはり供出に抵抗。
こっそり隠して供出回避したそうです。

(TV番組「名建築で昼食を」の大阪編で見ました。)