毎日欠かさず読んでいる日本経済新聞 朝刊の連載小説「陥穽 陸奥宗光の青春」(筆者・辻原登氏)。

今日は、孝明天皇の妹・和宮の輿入れシーンでした。

 

実は有栖川宮熾仁親王と婚約していた和宮。

輿入れの日程まで決まっていたというのに公武合体の目論見の渦に巻き込まれ

急転直下で天皇家へ。

家茂に嫁ぐ日、女官たち、人足、幕府側のお供総勢3万余を従えての大行列だった

と書かれていました。

 

この下りを読んで浮かんだのは、丁度昨日、目の当たりにした江戸時代の輿でした。

土曜日、東京国立博物館(東博)での講演会後、常設展示をざっと鑑賞して

見つけました。

場所は本館2Fにある旧貴賓室。

和宮の輿ではなく、義兄・孝明天皇が実際に乗った輿=鳳輦です。

 

ここ、東博は元の名を帝国博物館といい、明治期に宮内省の所管だったことから

こんなものを所蔵するに至ったようです。

 

想像していたよりも担ぎ棒が長く、そして作りが超地味!

まるでお忍び旅行用といった趣。

でも実際は、 新内裏遷幸用に使われたもの。

 

 

 

前にバチカン美術館で見た絢爛豪華な馬車に比べてみるとなお、その地味加減が際立ちます。

 

 

 

 

のみならず、現上皇上皇后両陛下がご成婚の時に使われた儀装馬車ですら

この軽快感、華やかさ。

 

(2019年、「国民とともに歩まれた平成の30年」展に付随し、高島屋1Fに展示。

ただ、ご成婚当時の写真を見ると馬車といってもオープンカータイプ。

下の写真の後方黒い部分が幌のように見えることから、荒天のときのために通常の装備がこれで、

晴天の時は前2面が取り外しできる、、、とかそういうことなのかな?)

 

 

 

孝明天皇の輿のほうは、暗い色合いながら、てっぺんに鳳凰。

 

 

 

そばには「孝明天皇紀附図」の写真が添えられており、確かに同じ輿が描きこまれています。

実物の絵は個人蔵らしい。


 

 

当時の鳳凰は金ぴかだったんですね。

 

 

 

こちらの旧貴賓室(便殿)に輿のような大型物を搬入して一般に公開する、というのは珍しいこと。

いつもはソファセットを置いて、部屋そのものを見せるような使用法がメインです。

 

昔皇族の方たちの休息所として使われた場所なので、天皇家由来の輿を置くには

ベストの場所ですね。