週末は建築家・藤森照信氏の講演会へ。(場所は慶応三田第一校舎)
慶応義塾史展示館の企画展「曾禰中條建築事務所と慶應義塾Ⅰ 明治・大正編」展
(~9月2日(土))に付随した講演会でした。
慶応義塾史展示館とは、近年改修を終えた慶応の旧図書館の2Fを利用した博物館。
数年前にオープンしました。
早稲田大学が會津八一記念博物館や演劇博物館を長年運営してきたのに比べると、
ずいぶん後発ですが。
曽禰達蔵と中條精一郎が興した曾禰中條建築事務所は慶應義塾の建物を数々手掛け、
特に曽禰達蔵の方はジョサイア・コンドルの弟子として
今も名前が時折り参照される人物。
だけど、人となりなどは今まであまり聞いたことがありませんでした。
生涯実は歴史家になりたがっていた、といった意外な素顔も解き明かされました。
お顔も初めて見たかも(右・展示室より)
藤森照信氏の持ち時間は、1時間半。
残り30分は対談コーナーでした。
聞き手の平井ゆかさんは、曾禰達蔵玄孫とのことです。
建築家さんだそう。
東大系の藤森先生が慶応の話?慶応出身の谷口吉生氏や槙文彦氏のほうが
適任では?と思ったけれど、さすがに博識で曾禰達蔵のことにも詳しく
いつもの調子ですらすらとお話しされていました。
(お得意の古墳の話は封印して。)
曾禰中條建築事務所の代表作ともいえるのがこの旧図書館。
(写真に写っている右手の一画は、同調して造られた新しい建造物。
重なって写ってしまったけど、一続きの建物ではなく)。
講演会の後、展覧会を見に来たら、藤森先生が記念撮影中なり~。
慶應義塾史展示館の正式名称は「福澤諭吉記念 慶應義塾史展示館」。
その名の通り、常設展のほうは福澤諭吉や義塾関連の資料がたっぷり。
一方、企画展「曾禰中條建築事務所と慶應義塾Ⅰ 明治・大正編」展は
その奥の小室での開催です。
こちらのケース中央にあるのはー
慶応が誇る旧図書館のステンドグラスの下絵。
和田英作が描いたもの。
下絵は初めて見ました。
すでに本ブログでこのステンドグラスのことには触れたけど、
再度じっくり鑑賞。
甲冑を着た武士が馬を降りて自由の女神を迎える構図で
ミリタリズムとフォーダリズム(軍事主義と封建制)の没落がテーマです。
ステンドグラスは1915年に完成。
作者はこれまで何度か触れてきたステンドグラスの第一人者小川三知。
1945年戦火で失われてしまったものの、愛弟子の働きかけなどで1974年に復元されました。
下方に書かれているラテン語は、あの有名なキャッチを表します。すなわち:
Calamus Gladio Fortior =ペンは剣よりも強し
その両側には数字が書かれています:
1858(義塾設立年)
1907(図書館建設の50年記念の年)
左のVIII=8と右のVII=7だけは読めるな。
交差したペンを左手に持つ女神様。
足元のフクロウは知恵と知識の象徴です。
このステンドグラスに関し藤森先生の話で知ったこと;
もともとの小川三知のステンドグラスでは、真珠のような深い光沢のあるオパールガラスが
使用されたものの、復元作品には普通の濁りガラスが使われたので、オリジナルの
深みはほんの少し損なわれたようです。
このオパールガラスを使って名作を生み出したステンドグラス作家として、
宝石商ティファニーの息子ルイス・コンフォート・ティファニーが知られているとのこと。
以前フラワーガーデン内のティファニーミュージアムで見たあのステンドグラスは
このオパールガラスゆえの美しさだったんですね。
以前のブログ記事「麗しのティファニーミュージアム」で出した写真を一部再掲↓
藤本先生いわく、図書館の建物については、ゴシックの特徴がふんだんに使われていると。
確かに赤印をつけた先のとがったアーチ以外にも、尖塔モチーフがしつこくつかわれています。
そういえば、、とここで思い出したのが、図書館内の照明。
これもまさにゴシックだなぁ。
とにかく常設展でツボを見つけてしまい、あれこれ書きたいのだけど、
長くなったので、それらの話はまたいつか。
これまた再掲写真ですが、慶応義塾発祥の地↓
記念碑は塾生でもある谷口吉生氏作。
人間ドックで聖路加病院に行ったところ、たまたま見つけたもの。
聖路加のすぐわきにあります。