東京国立近代美術館常設展によく出ている荻原碌山の名作『女』。↓

頭部のモデルは伝説の女性・相馬黒光さんというのは有名な話ですが、

現在サッカーW杯日本代表で闘っている相馬勇紀選手の高祖母でもあります。

 

厳密にいうと、碌山は彫刻を制作する際、山本みどりというモデルを使用したのですが、顔のほうは、恋心を抱いていた黒光さんの顔になってしまった、、ということ。

 

実際、黒光さんの娘・俊子さんは、この像を一目見るや、「お母さんだ!」と口にしたのだとか。

 

中村屋の創業者・相馬家というと、カレーやパンで財を成した一家、と思う人も多いけれど、美術愛好家で、フランス風の芸術家が集うサロンを開催したことでも有名です。

 

すでに旧ブログのほうにも記したことがありますが、私がそれを知ったのは昔の東近美の展示でのこと。

中村屋サロンに集った芸術家たち、という特集のミニ企画が開催されていて、

荻原碌山、中村彝、斎藤与里、戸張孤雁、柳敬助といったサロン常連画家たちの作品が並べられていました。

 

 

その後、新宿中村屋の7Fにギャラリーができて、かつて中村屋サロンに集った芸術家たちと相馬家との熱い交流ぶりを年表や説明でより詳しくたどることができるようになりました。

 

黒光さんには愛蔵さんというご主人がいて、かなわぬ恋と知りつつ、碌山は黒光さんを愛します。その忸怩たる思いをぶつけるかのように、苦しむ囚われの女のようなかたちで造形されたのがこの作品。

 

 

 

さらに↓この絵『小女』は、相馬選手の曾祖叔母(=曾祖父のきょうだい/高祖父母の娘)がモデルです。

具体的には黒光・愛蔵さんの娘・俊子を描いたものです。

 

作者は中村彝。

下の写真は中村彝のアトリエにあった複製写真ですが、

実物は中村屋ギャラリーでたまに見ることができます。

 

中村は、落合にアトリエを構えていました(現中村彝記念館)が、もともと新宿中村屋のギャラリーのある場所で活動をしていたそうです。

 

 

 

荻原碌山は黒光さんへの片思いで心を焦がし、

中村彝は黒光さんの娘・俊子さんに愛情を覚える、、、

芸術への情熱が充満し、さまざまな愛憎が交錯していたサロンの様子がしのばれます。

 

↓中村彝の自画像。

東京国立近代美術館にて。(今年の5月の展示)

 

 

 

中村彝の代表作「エロシェンコ氏の肖像」(東近美蔵)。

エロシェンコは盲目だったので、周囲はいろいろ気を使ったようですが、本人はなかなかの策士だったと聞きます。

 

同じ被写体を同時に画家の鶴田吾郎も描いていますが、

より評価を受けたのは中村作品のほうでした。

 

 

 

 

中村屋サロンに集った人たちには、なかなか悲劇のストーリーが多くて、

碌山や中村彝が恋破れて早世だっただけでなく、

柳敬助も若くして急逝しました。

 

彼の作品は、東近美と中村屋ギャラリーで数点見たのみ。

残っている作品自体が少ないのです。

 

実は、展覧会用に東京に運び込んでいた多くの作品が、関東大震災で焼失してしまったとのこと。

中村屋ギャラリーのギャラリートークでその話を聞いた直後、中村屋主催の碌山美術館ツアーに参加したところ、その柳氏のお孫さんが参加されていました。

碌山の活動をたどることで、あまり残されていないご自身の祖父の足跡をたどっているかのようなご様子でした。

 

 

 

「女」は写真の通りブロンズですが、実はオリジナルの「女」は、粘土を元に石膏原型が造られ、石膏像が先に作られました。
 

石膏原型は東京国立博物館(トーハク)にありますが滅多に展示されません。

私は一度見たのみ。

ブロンズとはかなり印象が異なり、石膏のほうが儚く、「女」のイメージにより合うような気もします。

重要文化財です。

 

 

 

それにしても本日のコスタリカ戦は残念でした。