またまた時間が空いてしまったけれど、

5月の連休中にでかけた芸術家のアトリエ第2弾。

佐伯祐三宅の次に訪れたのは中村彝のアトリエです。

 

 

 

やはり落合方面にあります。

(新宿区下落合3丁目5−7)

 

こちら、2度目の訪問でしたが、画家のパネルが戸口でお迎えするなど、

1度目よりもブラッシュアップされていました。

 

先日書いたとおり↓、中村彝というと東近美所蔵の

エロシェンコの肖像(正確には「エロシェンコ氏の像」)が一番知られているところかもしれません。

早世したこともあり、作品展数はそれほど多くありません。

 

 

 

 

以前倉敷の大原美術館で見たのがこちら:

病に侵され、頬がこけた自画像「頭蓋骨を持てる自画像」です。

この絵の複製は、落合のアトリエで見ることができます。

 

ややエル・グレコ風で、死を意識しているせいかメメントモーリ的な

モチーフがあり、本人像自体もキリストを意識した描き方。

 

表情はやや達観しているかに見えます。

 

 

 

同じくこの絵の複製もありました↓

中村屋のカリスマ女主人、相馬黒光さんの娘・俊子さんを描いたもの。

 

当時日本では珍しく芸術家のサロンを主催していたいわゆるパトローネの黒光さんは

出入りしていた彫刻家・荻原碌山から熱烈に愛され、

娘は中村彝の憧憬の対象だったという構図。

相馬家の女性たち、なかなか魔性っぽいです。

 

 

俊子さんは中村のために上半身着衣なしで絵のモデルを務め、

大騒動になったこともありました。

学校を退学になりそうになったと聞いた記憶がありますが、

ちょっとうろ覚え。

 

この絵のマグネットがいま我が家の冷蔵庫に貼られています。

同じくこの図柄の切手も持っているけどもったいなくて使えません~。

 

 

 

参考までに、萩原碌山の「女」の写真も掲載しておきます。

2か月前、東近美の常設展に出ていました。

 

碌山がひそかに黒光さんをイメージして作ったもの。

でも、黒光さんの娘がこれを見て、「お母さんだ!」と叫んだんだとか。

バレバレだったようです。

 

コロナ前には、中村屋ギャラリーのトークでこうした中村家のこぼれ話などを

いくつも聞くことができたのでした。

 

 

 

 

中村彝の死後、愛好家たちなどが遺品の保護に努めたそうで、

やがて家具や画材関係の遺品は茨城県近代美術館が一括して収蔵したとのこと。

 

こちらにあるのは複製となりますが、忠実な再現なのでしょう。

それぞれ本人が使っていた様子を偲ばせます。

 

 

 

例えばこの椅子。

絵の具がついた状態まで再現されています。

 

 

 

壁龕のあるアトリエの壁には、自画像(複製)。

この絵のオリジナルはどこにあるかというとー

 

 

 

アーティゾン美術館です。

今年3月、久々に対面してきました。

ブリヂストン美術館時代も、この絵はあまり頻繁に展示されていたイメージはありません。

 

あきらかにレンブラントを意識していますね。

オマージュというべきか、野心なのか。

 

 

 

例によってパノラマなのでひしゃげていますが、ソファも置かれています。

 

 

緑あふれるお庭もあって、ドラクロワがパリに一時期借りていたアトリエに

ちょっと似ています。

 

 

 

 

佐伯祐三にしても、中村彝にしても、若くして亡くなっても

こうしてアトリエも保存のために人々が動いた・・・

残された作品が評価されたからにほかならないでしょう。

 

30歳で亡くなった萩原碌山も、安曇野のほうに教会のような専用の美術館があります。

あちらは、地元の人総動員で建てられました。

(子供までお手伝いしている様子を写真だったかビデオだったかで見た記憶。)

 

精神を病んだ佐伯、悲恋の中村彝や萩原碌山。

みな生前報われない思いをかかえつつも、死後はこの手厚さ。

こうした周囲の高評価を生前の彼らが知っていれば、苦しみも少しは癒えたのではないかな、

そう思ってしまいます。

 

 

芸術家のアトリエ探訪① 画家 佐伯祐三の落合のアトリエ

芸術家のアトリエ探訪② 画家 中村彝