先日の記事(街角で見かけた紙芝居の話)に続き再び小布施旅行の記事です。
小布施よいとこ、と聞いてはいたけれど、それはただ北斎の長い画業のある一時期の足跡をたどることができるから、というだけではなかったようです。
街の雰囲気がとてもよくて、心地のいい場所でした。
観光地でも一部地域はシャッター街と化しているケースもありますし、有名なスポットを除くと寂しい場所だったりすることもあるし。
でも小布施は街全体が隆々としているというか、余裕を感じるというか。
小ぎれいで整然としていて、歴史もあって。
古くから栄えていて、今もその栄華をそのままとどめている、そんな印象がありました。
街歩きをしながら、「昔から裕福な街だったんだね、主要産業かなにかがあるのかな」などと噂をしていました。
(町の歴史を調べていないのがバレバレ。)
しばらく歩いていたら夫がひとこと、「アンサーが降ってきたみたいだよ」。
「小布施中町の商業 / 徳川時代の初めから街道交通の要衝であり、千曲川水運の船着場としても繁栄しました。中町はその頃始まった六斎市の中心的市場として栄えましたが、そのなごりとし現在も、、、、、」と書かれた看板がありました。
いくつかお店に入っても、調度品の数々に目が留まりました。
質が良いのです。
単なるお飾りでおいているはずのチェストが、やけに重厚だったり。
かつて交通の要衝であっても今は事情が違うはず。
それでも、どこに行ってもゆとりを感じる街並み。
特産品の栗と北斎が屋台骨を支えているのか。
あるいは、気持ちのいい町並みが人々を引き付けてやまず、観光地として不動の地位を築いているのか。
そうそう、この街は北斎関連の寺院と博物館が有名ですが、それともうひとつ、北斎に資金を提供した地元の実力者の旧邸宅=高井鴻山記念館も必見です。
北斎がこの街でどのように過ごしたのかが、記念館に展示された作品や文章から偲ばれます。
東京の北斎展などではうかがい知ることのできない情報があり、3年ほど実際に滞在した街だからこそ、貴重な足跡を目の当たりにすることができます。
こちらは地元の学校。
チューリップが青いプランターに植えられていました。
この街は学校までもがこぎれいです。
街の歴史資料を展示した資料館が、岩松院に行く途中にありました。
もと学校の校舎を転用したささやかな資料館で、時間の関係で中には入りませんでしたが庭の桜がきれい。
一瞬入館するか迷ったけれど、もし入館していたら、最後の高井鴻山記念館は時間切れになるところだった・・
なにしろ閉館時間ぎりぎりで見終えたのですから。
岩松院の一帯。
★桜井甘精堂泉石亭
さて、時系列が前後しましたが、駅に到着して真っ先に向かったのが食事処・桜井甘精堂泉石亭。
11時過ぎでまだちょっとランチには早く、先にどこか見てからにするつもりが、人気店なので早めがいいだろう、なにしろ10時から開店しているし、ということで直行しました。
案の定、窓際の席、ラスト1席です、と案内されました。
奥に見えるのがちょっとしたギャラリー、栗の木美術館。
食後にちょっと覗いてみることに。
栗ご飯と、おかずがフルに付いているコースにしました。
大食漢の夫ですら、お腹が苦しい、とお漬物を残していたぐらい、見た目以上のボリュームでした。
私も煮物はちょっと食べきれないかと思ったほど。
朝ごはんをしっかり食べた後、昼食のスタートが11時15分というのも一因だったかも。
お味噌汁も具だくさん。
エビは衣のごまかしはなく、ぎっしり身が詰まってコリコリで食べ応え満点。
席の間隔もゆったり。
お会計の時にふと上を見上げたら、梁が独特。
2Fはギャラリーと書かれていたので、スタッフの方に声をかけたうえで、上に行ってみることに。
オーナーさんが集めた食器類、美術品などが置かれていました。
授乳スペースもあって親切です。
★桜井甘精堂併設 栗の木美術館
上述通り、食後にふらりと入ってみました、同じ敷地内にある栗の木美術館。
木の調度品がいくつも置かれていて、とてもしっかりしたつくり。
いまはなかなか手に入らないだろうと思われるほど。
「牧神の午後」と題された彫刻には、立派な木製の台座。
彫像のタイトル入りで彫刻のモチーフに合った角笛が彫られているので、台座はオーナーさんが特注したのでしょう。
立派な台座です。
そのほか、地元出身で27歳で亡くなった芸大卒の日本画家さんの絵があったり、ひょっこり古賀春江の絵があったり(右の上から2番目)。
古賀春江の絵は、かなり初期の作品かもしれません。
写真下左が入り口。
下右はお店の会計コーナーのところにある装飾。
こちらのご一族は手広くやっていらっしゃるようすで、広大な敷地に洋菓子店や、別途店舗などが散らばっています。
お菓子作りの光景も窓越しに見ることができます。
まずは小布施ランチ編でした。