先日来触れてきた三鷹市山本有三記念館。
企画展「無事の人」のことや衆議院議員に立候補・当選時の関連展示などには触れたものの、一番感激した邸宅のことをまだ書いていなかったので。
記念館は作家・山本有三が昭和11-21年に実際に居住していた邸宅を使用しており、「路傍の石」もここで執筆されました。
この建物の最初の持ち主は大学教授や商社役員を務めた清田龍之介という人で、竣工は大正15年(1926年)。
清田氏は関東大震災を経験していたこともあり、郊外に堅牢な家を持つことを目指したといいます。コンクリートを用いた強固な建物は当時としては珍しいものでした。
その後、昭和11年に山本有三がこちらを購入し、10年ほど過ごしたものの、やがて進駐軍によって接収されます。
接収といえば、旧島津本邸(現・清泉女子大)に行った時のこと。進駐軍に占拠された際に強引で乱暴な改造が数々なされたといい、その痕跡を建築ツアーの際に目にしました。
恐らくこの邸宅もそうした蛮行を逃れることはできなかったことでしょう。加えてその後の持ち主による改修も加わったため、現在の姿が山本氏在住時そのままということではないのでしょうが、いずれにせよ立派で瀟洒な洋館だったことは間違いありません。
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三鷹駅で降り、風の散歩道などという素敵なネーミングの道をてくてく歩くと暫くして見えてきました。
個性的な白地にまだら模様のある門構えからして、なにか期待感を抱かせます。
門をくぐると、目の前には、大正末期の幾何学的意匠性に優れた洋風建築。
「ピクチャレスク風」なこの館。
残念ながら設計者は不明だそう。
建物脇にある、暖炉煙突の石積みの存在感が半端ありません。
広いリビングダイニングは片側が著作物の展示スペース、いわゆる常設展のようになっていて、企画展はの会場は2階です。
窓ごしの緑が爽やかです。
邸宅には前庭と裏庭があって、広い裏庭には、散歩途中の親子連れが佇んでいました。
庭だけなら無料。
市民の憩いの場になっているようです。
暖炉も数タイプ種類がありこちらはレンガの配列がリズミカル。
フランク・ロイド・ライトが帝国ホテルに使ったことで有名になったスクラッチタイル仕様の暖炉もありました。
重厚感を演出しています。
ちなみにスクラッチタイルつながりでいうと、石川県初の本格的コンクリート建築として知られる金沢の現「しいのき迎賓館」(旧県知事室が現在ポール・ボキューズになっている)も、スクラッチタイルが白いアクセントに映えて堂々たる外観でした。
軽やかなステンドグラスも何カ所かにあります。
階段の踊り場にも。
寄木造の床もピカピカ。
このメスキータ風、、とでも言いたくなるようなアーチ形の窓が国籍不明感をにじませています(笑)。
木の模様が描かれた立派な椅子。
確かいま私は文学者の記念館にいるはずだよね?と思うほど、お宅拝見の様相を帯び、建物や家具に目を奪われました。
(常設展の話もいつか書きたいとは思っています。)
スイスの山小屋シャーレ風、あるいはフランスのレンヌやヴァンヌあたりの木組みの家を想起させる作り。
2F展示室は書斎を使用。
あれほど瀟洒な洋風の顔を見せた後に突如現れる和室。
大胆な和洋折衷。
こちらは前庭。
つつじが終わりかけでした。
裏庭から邸宅を眺めます。
有志による記念碑も。
「心に太陽を持て」、ドイルの詩人フライシュレンの詩の冒頭からとった句が彫られています。
山本有三が共感した言葉でもあったようです。
山本有三記念館は、作家の執筆活動の軌跡をたどれるだけでなく、住まいそのものも見ごたえがあり、なかなかおいしいスポットでした。