雅叙園の壁の意匠(青海波)に触れた昨日のブログのコメント欄で、ヴィトンと和模様の親和性に触れました。

 

モノグラムは家紋、ダミエは市松模様が発想源、と聞きますが、実際2016年の大規模ヴィトン展覧会(「空へ、海へ、彼方へ──旅するルイ・ヴィトン」展 於・麹町特設会場)でも、和との結びつきに重点を置く展示がありました。

 

2016年のブログで2度にわたり入れた話題ですが、未公開写真があるのでそれらを含めて、以下ヴィトン+日本の実証実験です:

 

 

まずは最初期の日本人の顧客。

実物が残る貴重な例がこちら。板垣退助の旧蔵品です。

1883年にパリで注文したものだといい、ITAGAKIのネーム入り。

日本人顧客第一号ではなかったことが判明しているそうですが、実物が残っているものとしては一番古いケース。

ご子孫が大事に保管されたおかげでしょう。

 

 

 

同じ頃に、政治家の後藤象二郎も注文をしていて、顧客リストが残っています。

ヴィトンはアーカイブをしっかり管理していて、そういう意味でも一流ですね。

 

 

 

白洲次郎の旧蔵品2点もありました。

1967年購入というトランク「ビステン」と「スティーマー・バッグ」。

ダンディな姿が目に浮かぶ・・・

それ程傷んではおらず、耐久性の良さを改めて実感。

 

 

 

ついでに展示用の畳縁までもがモノグラム!

 

 

 

こんなものも一角に鎮座していました:

蒔絵で金模様が描かれた黒漆の木箱(江戸時代)。こちらは、ヴィトンが収集したもので、ヴィトンコレクションからの参考出品。

 

ヴィトン本人がこれを購入し眺めていたということは、やはりこうしたボックスなどの意匠がヒントになり、やがてモノグラムへと展開していったことをうかがわせます。

 

 

 

変化球としては、茶道具入れ。

お茶席からお茶席への移動用としての大型バッグです。

 

 

 

ヴィトンx草間彌生は石庭風のセッティングで展示されていました。

展示監修者が腕を振るった空間はどの部屋も極上でした。

 

 

 

このように和テーストを垣間見せるヴィトンですが、ここからは華麗なる本国の顧客編。

ディオールのバッグなのかヴィトンのバッグなのかわけわからないこちらのバッグはディオ―ルがヴィトンに発注したもの。

 

 

 

実際顧客リストがありました。

上記のトランクとはまた別のタイプを注文しています。

 

 

 

ピカビアやマティスの顧客カードも。

 

 

 

有名な写真家のナダールもネーム入りのボストンをしつらえていました。

写真スタジオがあったパリの住所も書かれています。

第一回印象派展は、カプシーヌ通りにあるナダールのスタジオで行われたんですよね。

ただしこのトランクに書かれた住所はスタジオ移転後の住所のようでした。

 

 

 

ピアニストだけでなく様々な顔を持ち活躍したイグナツィ・パデレフスキの豪華な化粧入れ。

知名度が上がり、彼が様々なブランドを所持することでいいPRになったそうなので、ある意味広告塔という自覚でここまで豪華なものをそろえたのかもしれません。

 

 

 

外科手術道具入れに特化したバッグもあれば、こちらは指揮者用の指揮棒コレクションのための特注品。

 

 

ギターやバイオリン入れも。

ファッションデザイナーとして名が知られるポール・ポワレも大きなネーム入りで特注しています。

 

この時の展覧会タイトルが「空へ、海へ、彼方へ──旅するルイ・ヴィトン」からもわかるとおり、旅のお供としてのヴィトンがテーマ。

 

長期滞在の旅先でのんびり読書するためのブックボックスがいくつもあったのが印象的でした。

(以前のブログで触れた通り、プルーストの「失われた時を求めて」全集に特化した=ピッタリサイズのボックスが一番のツボでしたが。)

 

 

海の風景、砂漠の風景、オリエント急行の車内のようなものを再現し、衣装やトランクを配置した展示会場など、唯一無二の、夢のような展覧会でした。