イタズラで有ったとされたミステリーサークルが突如世界各地で同時に現れる所から始まる、この世の終わりに直面するある家族の物語です。

 

この作品、

世間の評価の程はどうだったのでしょう。

(自分が好きなら、どーでも良いんですけどね)

 

ミステリーサークル自体もう、イギリス人二人組によるイタズラと報じられ、

いまさらミステリーサークルの映画?

てな風潮が当時あった気がしますが

なんと2002年最も収益上げた作品なんだそう。

 

でその後、人力では不可能だなど所説出たようで、どっちなんでしょうね?

シンプルですが、良く思い起こす作品な為、アマゾンで送料込み500円未満のレンタル落ちのを買い見直しましたが、やはり良かった。

 

主演は

キリスト自身を現代的に描き問題作となった「パッション」を監督するなど、敬虔なクリスチャンであるメル・ギブソン


監督、脚本、制作は

シックスセンスなどを撮ったインド系アメリカ人のミッド・ナイト・シャマラン


音楽は

シックスセンス、コラテラルダメージ、ダークナイト、マレフィセントを担当した

ジェームズ・ニュートン・ハワード

 

~~~

 

映画を支配するのは信仰心と、全編に流れるシンプルなひとつの音楽。

 (個人的に宗教苦手ですが、しかしヒューマンドラマとして秀作と。)

 

それは、水のせせらぎのような三連(四分音符)のフレーズが繰り返される、
長い、長い、長い、助走の旋律。

 

その助走(イントロ)が最後結実するのですが、

さて、どう結実するのでしょう?

 

~~~

 

グラハムは牧師でした。

何故過去形なのか?

 

その理由が徐々に説明されて行きます。

 

グラハム(メル・ギブソン)は、

小学生低学年の長男モーガン、その妹のボー、グラハムの弟でホームラン最長飛距離記録を持つ元野球選手のメリル(2020年「JOKER」を演じアカデミー獲得した、ホアンキン・フェニックス。その際のスピーチが素晴らしかった!)、そして二頭の犬と一緒に暮らしています。

 

長男モーガンは小児喘息(ぜんそく)を患っていて、時に発作を起こし薬が無いと毎度命の危険すらある身。

 

ある朝、息子の悲鳴で目覚め

その声を辿り息子の元へ着くと

家の前の畑にミステリーサークルが出来ている事を教えられます。

 

幼い娘ボーは家の中の“水“を何故か気にします。

そして家の犬が何故か狂暴になりました。

 

信仰を失ったグラハムは牧師服を着ません。

しかし未だ街に出ると”牧師さん”と呼ばれ、
「もう牧師は辞めた」と伝えても、”懺悔(ざんげ)”をさせて下さいとお願いされます。

 

何故グラハムは信仰を捨てたのか?

それは愛する妻を非業の事故死で失ってしまったからです。


それにより彼は神を憎むようになっていました。

 

眠れぬ夜、

グラハムは妻が事故に遭った時の光景を思い起こします。
その際の妻との最後の時の事を思い出します。

序盤からずっと流れる何かを予感させる音楽と共に、

少しづつ、少しづつ、見る者に起きた出来事が明かされます。

 

 

事故現場でグラハムは妻と対面し

妻から最後の言葉を受ける。

 

しかしそれは断末魔の為か

グラハムの弟メリルに対する意味不明な野球についての言葉だった。

UFO襲来のニュースを見ながら
グラハムは弟メリルに対し詰問する。
“偶然による幸運“を神による見守りの証と思うか?それとも単なる偶然と思うか?
「お前は どっちのタイプだ?」
 
 この時のグラハムの“目“は
まるで穴蔵の奥で怯える
アライグマのよう。
 
グラハムは、
妻の最後の意味不明な言葉からも
神のご加護なんて無い。神の見守りなど無い。
と断じ落胆する。
 
 
牧師で尊敬していた兄グラハムのこの言葉に弟メリルは悲しむのです。
 
 

やがてミステリーサークルは本物だと確信させられるTV報道が流れてしまった。

(↑それ系番組で見た事ある感じですよね。電信柱に隠れるヤツです。)

 

これこれ↓

 

そんな時、
自動車事故で妻の命を奪った車を運転してたのがこの男。
 ん?あれ?
この男、監督のミッド・ナイト・シャマランじゃん!
 
この男から、
「サイン(=ミステリーサークル)は、
水に近い場所に無い。」と聞かされその男の家でグラハムはとうとう宇宙人を見てしまう。

一家はこの世の終わりを覚悟しました。

 

グラハムは家族一人ひとりに

食べたい物を聞きます。

 

グラハムは

「俺はベーコンエッグバーガーだ」

 

そして家族は最後と覚悟し食卓に着きます。

 

 

息子モーガンはこの世の終わりが差し迫り、父に食事前の祈りを懇願します。
しかしグラハムは涙ながらにそれを拒みます。

 

信仰を失う程の父の苦しみ、母がいない事への怒り。
そして各々が死を、世界の終わりを覚悟する。

この時の幼い娘ボーのすすり泣きが苦しい。

 

父グラハムは涙を流しながら一家全員を抱き寄せます。

 

その時、
おもちゃのトランシーバーから襲撃のサイン音が鳴り出します。

 

 とうとうグラハム家に宇宙人が襲ってきました。

 

最後の夜になるかもしれないグラハムは

弟メリルと侵入されないように扉を釘で塞ぎながら、

幼い娘に対し

「お前達に話していない事を話そう」

「ボー、お前が生まれた時はね・・・」

 
そして息子にも
「モーガン、お前が生まれた時は・・・・」
 
やがて宇宙人は家の中に侵入します。
 

地下室に逃げ込みますが
薬の無い地下室で息子のモーガンが喘息の発作を起こしてしまいます。

「落ち着け!お父さんと一緒に深呼吸しろ!」と言い聞かせます。
やがて息子の発作は収まり、一命を取り留めました。

 

なんとか宇宙人からの襲撃をしのぎ、

翌朝のラジオからは、

どうやら宇宙人の弱点が見つかったらしく
宇宙人は地球から離れたという事でグラハム達は地下室から出ます。

助かった!と喜び踊るボー。

 

 

安堵していた時、

宇宙人はリビングに現れ、

 

喘息である息子モーガンを抱きかかえ、
腕から伸びる触手からの毒ガスを吸わせようとしています。

 
今まさに息子が殺されそうなこの時、
グラハムは走馬燈のように

妻との最後の会話を思い起こします。

 

その時も例の三連のフレーズ♪が流れています。

何を予期しているのでしょう?

 

グラハムの妻は瀕死の状態ながらグラハムが来るのを待っていました。

 
そして妻は言います。

 

「ボー(娘)にはお兄ちゃんの言う事を聞くように伝えて」

「モーガン(お兄ちゃん)には遊ぶように」

 
そして夫グラハムには、
「グラハム居るの?」
「ああ、居るよ。」
っと、目の前にいるグラハムに妻は言います。
「見て」
 

「メリル(グラハムの弟)には打て」と。

伝え終わって、すぐに妻はグラハムの目の前で息絶えます。


この妻の言葉を思い起こしたグラハムは
リビングを見まわします。


飛距離155m記録のプレートと共に飾ってあったバットを見て

そこに居合わせたメリルに対し、
「打て、フルスイングだ。」

(Swing away)

 

メリルはバットを持ち宇宙人に立ち向かいます。

ホアンキン・フェニックス

 

メリルのフルスイングで捕らわれていた息子を救出でき
倒れた宇宙人にコップの水が掛かった事で
宇宙人は絶命したようです。

水、只のH2Oで。

 

ここで音楽は、

それまでの長い長いイントロから、

結実へ変化します。

 

グラハムは息子を抱き抱え、外の庭に出て
息子に喘息の為の注射をします。

 

宇宙人を倒しグラハムの元へ駆け寄るメリルとそこにいた娘ボーは泣きながら息子モーガンに触ろうとします。

 

グラハムは「触るな!」と返します。

注射をした為安静にさせる事が必要なのでしょうか。

 

グラハムは言います。

「偶然じゃなかった。偶然じゃなかった。」

(全てに意味があったんだ。)
「喘息でガスは吸い込んでいない。」

「触るな!」

とグラハムは繰り返します。

 

やがて、

息子が父へ「パパ、どうしたの?」

っと声を上げます。

危険な状態から救われました。

 

宇宙人の毒ガスは喘息で有った事で吸い込まなかった。
意味不明であった妻の最後の言葉の通り、

周りを見回した事でバットが有る事に気づけて

メリルにフルスイングする事を伝えられ
それにより息子が救えた。

 

これらが、“只の偶然“の訳がない。

 

守られていたんだ。とグラハムは確信します。

 

~~~

 

やがて季節は過ぎ

子供たちの元気な遊び声が聞こえる中、グラハムがクローゼットで身支度をしていました。

牧師服を着ていました。

グラハムは信仰心を取り戻していたのです。

 

🔳当方の感想♪

父、妻、母、兄弟、幼い子、叔父

それぞの立場での家族愛が

素直に描かれていて

 

未だに見返したくなり、

見る度、
心が高揚し涙溢れ

こんな家族作りたい。

的な感慨に襲われます。

 

~~~

 

劇中、食に関し、メル・ギブソン本人の食形態と、映画の中のセリフには、

大きな相違があります。

 

それはクリント・イーストウッドも同じです。

二人とも何時からなのか知りませんが、菜食主義者です。
が、劇中セリフではどの作品でも映画観客に寄り添ったセリフになっています。
 
バットマンを演じたクリスチャンベールも菜食主義者。
(↑2画像Google検索からお借りしています)
クリスチャンベールはノーラン監督が良いシナリオ作ったらバットマン4やりたい。と発言してるそうで!
3部作のラストは、(スノーデン演じ、面白かったルーパーに出てた)
ジョゼフ・ゴードン=レヴィット演じる巡査がロビンである(に成る)シーンなんだから
、その続作作ってよ!
ですよ。
(そんなラストと続作な事少なくない。)
 
 
で話戻しまして
Diorの宣伝してるナタリーポートマンも
菜食主義者です。
(かわいい)
(↑画像Google検索からお借りしています)
 

他にもハリウッドセレブにやたら菜食主義者が多いです。

 

彼等欧米人のこの食形態は

必ずしも宗教に要因して無いようで、

ハリウッドセレブには社会活動家や動物動物愛護家が、とにかく多いです。

 

何故でしょう?

役者という仕事が誰かの人生や気持ちを理解する作業の連続だからでしょうか?

なんて

人の職種を分かった風にすみません。

 

日本人タレントで社会問題の活動家ってあまり居ないですね。。。活動家でなくとも社会問題について感心や賛同、意見を言える人、欧米は普通だが、日本人では少ない。

阿部寛さんは先日の台湾地震で寄付なさいました。

高倉健さんは中国と交流を深めた事も極めて価値が高いですね。

今日本で勇気ある人の筆頭ってウーマン村本さんですね。

 

まぁ日本人の社会性がとにかく低いのは事実。

大の大人飲んでも社会問題ほとんど話さない。

 

 

余談はさて置き

 

さて、

信仰心とは何なのでしょうか?

 

我々の世界は絶対善という意志を持つ具体的な存在により、守られている。或いは見守られている。

そう思いたい。そんな存在が無ければ何を信じて生きられるんだ?

っという感じでなのしょうか?

 

 

私はどちらかというと宗教苦手です。

それは偶像崇拝云々のみならず戦争や紛争の元であったり(実は某国というよりDS(?)の工作行為)で、それらの人々の救いになって居るようにはあまり見え無いからです。


しかしそんな私でも、人間は自然の下に存在していると子供の頃から何となく感じています。


人間より上の存在として自然を感じます。


そんな事で、

有る意味信仰心的な事となるのかな?

と思っています。

 

違うのでしょうかね?

 

 

信仰対象の実体が絶対善であるのか?

は、

部外者のアバウトな推察かもですが、、、

 

善とは、

他者を思う事

 

に違い無さそう。

 

さぁ、SFに話し戻しましょう。

宇宙人と地球人との差は、

 

もしかすると

人間と昆虫との差くらいな場合あるかも。

 

そんなとき

人間殺さないで!

 

っと我々が幾ら叫んでも

相手は我々に尊厳を感じ、守るべきと

判断してくれるか?

 

火星移住が現実化している今、

もし火星に先住生物が居て、

 

彼等は人間の武器より(一見?)弱かったら

下等生物と判断し、殺して良し!

 

なのでしょうか?

 

尊厳を持つ者とは何か?

それは踏みにじってはならない対象

 

とするなら

 

尊厳を宿す事を許される者とは?

そして

愛情を向ける対象とは?

 

 が重要です。

 

何故ならその判断結果により

相手の扱い(殺して良いか?)が決定されるからです。

 

これは、

映画ブレードランナーが我々対し

問い掛けている課題ですね。

 

ブレードランナーについての過去記事