「ボヘミア王妃エリザベス・ステュアート」 ― 「ロンドン・ナショナル・ギャラリー展」 その8 | Art and ―アートと私と― 西洋美術たまに日本美術

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主に西洋美術(たまに日本美術)について綴っています。美術展の情報や感想がメインですが、それ以外の記事も徐々に充実させていく予定です。

「ロンドン・ナショナル・ギャラリー展 その7」の続きです。

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ホントホルスト「ボヘミア王妃エリザベス・ステュアート」(1642年)


エリザベス・ステュアートは、エリザベス1世の後を継いだ
ジェームズ1世の一人娘で、1649年に清教徒革命により
処刑されたチャールズ1世の姉に当たります。
この肖像画が描かれた1642年は、清教徒革命が始まった年ですね。

エリザベスはドイツに嫁ぎますが、夫の即位により
ボヘミア王妃となります。
しかし、彼ら夫婦が王座に座ったのはたった一冬だけで、
翌年に戦いに敗れ、オランダのハーグに亡命します。
その12年後に夫が病死し、彼女は12人の子供のため、
所領を回復する努力を続けたそうです。
その甲斐あって、奪われた所領の大半を次男が回復し、
エリザベスは、甥のチャールズ2世が王政復古で
イギリス国王になった後にイギリスに戻り、
1年もしないうちに亡くなりました。


ホントホルストは、エリザベスのお気に入りの画家で、
彼女や彼女の娘はホントホルストに素描を習ったそうです。

この肖像画は、エリザベスの夫の死後に描かれたものです。
エリザベスが喪服のような黒い服を着ているのはそのためで、
彼女が身に着けている真珠の髪飾りやイヤリングなどの
装飾品は、亡き夫から送られたものだそうです。
エリザベスが左手に持った2本の薔薇のうち、
1本が上向きでもう一本が下向きであるのは、
彼女が夫に先立たれたことを示します。

ドレスの胸元には幅広いレースがふんだんに
使われていますし、ドレスの布も厚そうですね。
王族らしい威厳のある立ち姿です。


エリザベスの甥ジェームズ2世の娘アン女王が
1714年に亡くなった後、エリザベスの
末娘ゾフィーの子(つまりエリザベスの孫)
ゲオルグがジョージ1世として即位し、
ハノーヴァー王朝の開祖となります。


「ロンドン・ナショナル・ギャラリー展 その9」に続きます。

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