迷うときの引っ掛かり | asobeの音

asobeの音

書きたくなったら書く。気が付いたことを、徒然と書いていきます。

これなー、私もある。

例えば、望んでることがあるけど「叶わないかもしれない」、それもつらいから、望むのをやめた方がいいか>体調甚大に崩す。みたいなループになってたりねー。

 

お願いするのが苦手、頼むのが苦手で、そういう事態になると迷ったり、自分責めに陥りと、なる場合って、

「親御さんが頭下げまくってる姿がしんどかった。」とか、あくまで「子供のころ」とかの経験で「お願いすることは馬鹿にされる、ひどい目にある」みたいなのが刷り込まれてる人多いのかなあ。という気がする。

 

これ、整理して「たまたま、その時の相手があれだっただけ」とか、しておかないと「人間ってそうなんだ」みたいなのを補完しようと、そういう人ばっかりいる場を選んでばかりもあるからなあっと。

で、頼っていい場所、あなたを助けてくれる人がいっぱいいる場所に来たときに「頼っていいけど不安でござる」ってなる。

 

私の場合なら「叶えていいんだけど不安でござる」みたいなね。

 

叶えられない理由を探そう、頼ってはいけない理由を探そうとするから、選択肢が変なことになるというのはあるよなあっと。

 

でも、なんで迷うのかというと、ちゃんと周りや、本当の思いは「叶えていい」「頼っていい」とか、そうなってることってある。

 

わかってるけど、なかなか、というのはあるけど、こう、螺旋階段を上ってるみたいに、同じところぐるぐるなようで、突然、何かが変わることもあるし、開けることもある。

 

意外とさ、いろいろと周りの人のこと考えすぎて、螺旋階段なってる人が多いかもね。優しいなあ。てさ。

逆に、まっすぐ、目の前の障害物は、張り飛ばして進むって人は「周り?他人?自分の目的に沿わなければ、なきも当然」と自分志向がやたら強い人も多いけど。

 

不安や不満、不幸な現状を解消するのは、自分を幸せにする勇気もそうだし、周りの他人を幸せにする勇気って、大事でなと。

 

その上で、その不安、その不満、そのプライド、いるかいらないか。で、「それは、もう必要のない世界にあなたはいるとしたら、どうしたい?」というのも大事だったりね。

自分の過去の現状のまま、もちゃもちゃしようとしてるとしたら、「もう、過去の救いたい人、救いたかった自分は、今幸せの現実にちゃんといる。ということ。よく頑張った、だから、幸せを選んでいい。やりたかったことを存分にやっていい。