すぐにやってきた緊急入院。 33 | 心臓病児と家族のオフロードレース

心臓病児と家族のオフロードレース

お腹の赤ちゃんの心臓がおかしいと言われてから、ガタガタ道のオフロードレース。途中棄権できたらどんなにいいか…
しかし、棄権をすることは出来ない。命の灯火を消してはならない。ならば思い切り輝かせよう!!家族の想い。幸せと葛藤。そんな伝えるべき体験を!!

前回お伝えした通り、

私死んじゃうかも…
っていう2週間を何とか生きて、
またすぐやってきた入院。

産後鬱など起きないくらい追われていて、
自分の足でしっかり立ってないと守れないから、気はしっかりしていた。

産まれた

2日後手術

1週間後に退院

2週間家で過ごす

緊急入院

となった。

入院になった理由が、
詳しくわからないまま入院した。

もう、漠然とした不安しかない。

医師からは、電話で、
「血管がすごく狭いところがあるから入院してほしい。」

そのせいで、何が起こる?
そのせいで、手術なのか?

わからないまま、赤ちゃん部屋に入院した。

ただ一つ、いいことは、
『ああ…助かった。
やっと少し眠れるかもしれない。
誰かに預けることができる。』

そうした安堵。

ほとんど眠ることも、座ることも出来なかった2週間をすごした私は、
思考回路も停止し、

緊急入院の衝撃よりも、『助かった…』という思いの方が強かった。

病気の子は誰も怖くて預かりたがらない。
預けて出かけるなんて、許されない。

だから病院の、安心して預けらる場所はとてもありがたかった。

不謹慎だけど、
命のプレッシャーから解放され
肩の荷がおろせる時間を少しもらえて、
物凄く助かったのだった。

入院したのは朝10時。

看護師さんから、
「後で先生が説明にきますからね。」
と言われた。

まてどまてど来ない。

来なすぎて、聞くと、
「まだみたいだから、ご飯食べてきていいよ」と言われた。

そして、また待つ。来ない。

「まだ来ないんですが…」と聞くと、
「16時くらいになるって」と言われた。

しかし、まてどまてど来ない。

16時、17時、18時、19時、20時…こない。

だんだんだんだん、時間と共に、ひとりぼっちで不安に襲われていった。

やることは、変わらず3時間ごとの搾乳。

手動の搾乳機を持ってきて、
搾乳場所もないので面談室を借りて泣きながら搾る。

これを繰り返した。

21時になってもこない。
面会は22時まで。

今日は先生はこないのかも。。

姉から電話。

病棟の外に出て待合室で話す。

緊張がとけて、涙が溢れてきた。

「全然こないし、何があったからわかんないんだけど〜。
赤ちゃんどうなるか、わかんないよ〜😭」

ちょうどその時、
外科の先生が通り、私を見つけた!

「あ、ごめんなさいね。
手術が立て込んじゃって…
良かった、良かった。いてくれて。
今から説明しますね。」

21時半、ようやく面談室で説明が行われた。

話の内容は、、、

「すごく血管が狭いところがあるということだった。
こうなると、DKS(ダムスケイスタンセル)手術をすぐにやらなきゃいけません。

調べてみましょう。」

という話だった。

『え?ダ?ダムスケイスタンセル?
なんじゃ、そのプロレスラーみたいな名前。クスッ。』

こんな時に、頭の中では笑いがよぎった。

後からわかった話では、
このダムスケイスタンセル手術は難しいんらしく、
今の月齢でやるのは、相当危険だったらしい。

この時点では先生はそんなことは言わず、深妙な顔だけしていた。

私は冷静に聞いていた。

先生は、 

「よく毅然として聞いてくれたね。
頑張ったねお母さん。」

と言った。

面談室を出て、
向かうにきてくれた義母の顔を見た瞬間、
安心して泣いた。

またすぐ手術なんて…
しかも、わけのかわらない手術。

この手術は予定にはなかったじゃない?!
何が起きてるの?

これから、また、どうなるの?!!

病室の娘は、
相変わらず、泣きじゃくり、眠っていなかった。

でも、ごめん。
今夜は帰って、ゆっくり眠ります。

ちょっと心も身体もリセットさせてね。