わが胎児の審判のとき。 4 | 心臓病児と家族のオフロードレース

心臓病児と家族のオフロードレース

お腹の赤ちゃんの心臓がおかしいと言われてから、ガタガタ道のオフロードレース。途中棄権できたらどんなにいいか…
しかし、棄権をすることは出来ない。命の灯火を消してはならない。ならば思い切り輝かせよう!!家族の想い。幸せと葛藤。そんな伝えるべき体験を!!


いよいよ、お腹にいる赤ちゃんの心臓病に審判の時。


脳みそはダダ漏れ、心がズタボロ。

痛めつけられた身体を引きづりながら


いや

そうではなく、お腹な子への影響を考え、私は必死に気持ちを整え、私は泣きながらもしっかりしていた。


心臓病かもと言われただけ。

お友達にもいるし、その子の愛らしく元気な姿を見ていたし、良くなる病気かもしれない!と希望を胸にいだきつつ。


そうやって全神経集中して向かった産婦人科。


さぁ、行くぞ!!と診察室にいったら、今日は大学病院の先生は来なくなったとのこと


おいっ!!!!

どうしてくれんのさ、この気持ち😭


最後の思い出作りの二人きりの旅行、キャンセル50%でしたんだぞ〜💦💦

結局、三日間嵐だったからいいんだけど


そして、

今度また大学病院の先生が来るときに再び来院予約。

確か、人がいない開院前の時間に呼ばれた。


暫くの間、待合室で待たされた。

中からは、二人の医師の話し声がたまに聞こえた。


「これ、ヤバイってもんじゃないだろう!」

なんて衝撃の声まで漏れ、

二人の男性の苛立っているかのような会話が聞こえた。


長い時間またされ、ようやく呼ばれた。


録画したエコー動画をみて、話し合っていたようだ。


そこには、いつもの医師と非常勤の大学病院の医師。


いつもの医師は、いつも通り怖い顔。

もともと表情が少ない人なんだろうけど。

こんな時はどうかと思うぜ


大学病院の医師から説明があった。


「お子さんは、

左心低形成または肺動脈還流異常かもしれません。

肺動脈還流異常でなく左心低形成だと、とても厳しいです。

10万人に一人の病気です。


どちらにしろここでは産めません。

産まれることが出来ても、すぐに手術が必要です。

こども病院の産科を紹介します。


もし入れなければ、うちの大学病院で受け入れるので、産まれたら赤ちゃんをすぐにこども病院に運んでもらいます。」


言っている意味が、脳の理解を超えて浸透していかなかった。

頭の中では、めまいのような動きが始まった。

酸欠で気持ち悪くなった。


そして、紹介したら連絡するから、自分で予約してくださいと言われ、その病院を後にした。


帰ってからすぐさま、この病名を検索するも、亡くなった話のブログしか見つからず、明るい話題などひとつもなかった。


数日後、産婦人科から連絡がきて、

「紹介したから自分でこども病院に電話して予約して。」

と相変わらず無愛想な先生。

健闘を祈りますとか、あそこに行けばいい方向に向くはずだからとか、言ってくれても良いのに。


ま、でも、見つけてくれて大感謝。

ありがとう、先生。


そして、すぐにこども病院に電話。

受け入れてくれるかは謎だけど、無事に初診予約がとれた✨✨


これだけで、突然、穴に突き落とされた私は一段登れた気がしてホッとした。

もう、とにかく、やるだけだから!と前向きになれた。


それから、毎日毎日、ノートに願いを込めた日記を書き始めた。


『神様お願い!!

この子の病気は肺動脈還流異常でありますように!

どうかお願い。大丈夫でありますように!

絶対絶対大丈夫でありますように!』


写経のように、毎日ビッシリ同じような願いと祈りを1週間書きつづった。


さ〜〜〜、これで、第一関門終了です。


次回は、いよいよ第二関門の扉が開く時。

こんなショックレベルは、前座。

鼻くそみたいなもんです。


ここからは


こんな世界があったんだ!

世の中に、こんなに辛いことがあるのか!


と思い知らされることが、ドミノ倒しのように襲いかかってきます。


ではまた次回。

さよなら、さよなら、さよなら

昭和生まれのあなたならわかってくれるであろう懐かしのフレーズ)