前回の続きですけど、小説「十字架の女」について。

これはミステリー小説です。

犯罪は色々あるけど、なぜこの設定なんでしょう?
わざわざ、なんでこれ?

ここからは私の勝手な推察です(あしからず)。

「聖なるものを犯す」
という行為はおそらく、宇宙で一番卑劣で重い罪です。

これが象徴的に描かれているのではないかと。

地球人類は、相当神への冒涜行為を繰り返してますよ(現在只今も)。

聞くところによると、聖女と呼ばれる人に求婚しようとする男性は死ぬことになると。(その人に使命を奪われたら人類の喪失でしょうから…って意味かな)

また思い出すのは、ある芸能人が、ある神様をテレビで(か?)冷やかしたらしい。
後日その人は、生死を彷徨う自損事故を起こした。
(でも回復した。人生のやり直しを許されたのかな)

もう一つ思い出すのは、ある神様がまだビジネスマンだった頃、知り合いの男性がその人に失礼な行為をした。
その人は怪死した。
(あまり覚えてなく、どの本に書いてあるか思い出せないので、ふんわり書いてます。)

相手が偉大な神様である場合、その反動は勝手に自動的に降り掛かってくるらしく、神様がいちいち一人ひとりに罰を与えているわけではない。(そんな暇ではない神様)

小説に、ある業界を指していると思われる設定があるらしい。
もしそれが当たってるとすれば、なるほどその業界は、神を思いきり冒涜しまくってるので潰れて当然だな…と、同情の気持ちは1ミリも湧きません✋

こういうこと書くと、神様は人間に罰を与えるから怖い。とか思われるけど、むしろ今まで人類の目覚めを期待し、天罰が起こり始めるのを止め、またはずらし、時間稼ぎをしてくださっていたのでは。

でも一定のレベルを超えたので(○○○感染者5億人超え)、これから起き始めますよという警告なのでは。

という気がしてきました。

人類を裁くのは神ではなく、因果の理法です。

神は因果の理法という法則を宇宙に張り巡らされたが、自分が犯した罪は自分が償う(反省するということ)。
反省し、心を入れ替えたら許される。
これが法則。
そうでないと、神がこの宇宙を創られた目的である、進歩と調和に反する。

魂の教育のため、人間心を超えた大きな愛でじっと導いてくださっている神の視線を感じます。

信仰なき民主主義が主流の現代、神の御心に反した人間が大多数になると、地上が地獄化するのは止められない。
だから新文明建設の折には信仰のふるいにかけられ、あの世に還る人もたくさん出てくる(人口削減)。
歴史上何度も繰り返されたことで、今もそんな時代。

信仰ある者には神の導きの声が届くので、生き延び、新文明建設の担い手となることができる。

とても理にかなってると思う。

排除されたくなかったら、神の存在を受け入れ、その教えに従い生きること。
全ての人の心に、すでにある信仰心に目覚めるだけのこと。

この単純な「信仰」の一点を言われているのだと、そんな気がしてきた今日の朝。



大川隆法先生の霊言を「イタコ芸」などと呟いている人たち、今すぐやめたほうが来世のためだぞ?




この小説の続編をすでに読んだ人たちが「こんな面白くて驚愕な小説、読んだことがない!」と言われてて…早く読みたいわあ。

さて今日も仕事。