最近はインターネットでも「たけのこvsきのこ」といった論争が行われていますが、
昔は「たけのこ派」「きのこ派」というような派閥はなかったように思います。
「たけのこが好き」
「きのこが好き」
という主張はありましたが、
「きのこが嫌いな、たけのこ派」
「たけのこが嫌いな、きのこ派」
といったような、”相手を敵として見る文化”はなかったように思うのです。
「どっちもおいしいけど、けど、たけのこの方が好き」
という感覚に近かったと思います。
それがいつしか、ここ2,3年の間に「たけのこvsきのこ」論争に発展してしまったことは、
大変悲しい思いがすると同時に、
こういった大衆の動きは、非常に影響力があるなぁ、と恐ろしくも思います。
なぜなら私自身、
10回に一度はきのこの山を買うくらいの人間だったのですが、
なぜか最近では、
「きのこを買うは人にあらず」
と言ったような、いつの間にか敵対心をその胸中に抱いてしまっているからです。
国際問題も、戦争も、こういったささいな周りの発言、風潮が、いつのまにか個人の感覚にまで影響してしまうような気がします。
誰かの悪口を聞くと、
「(へぇ、あの人はそうなんだ)」と心のどこかに刷り込まれることは避けられませんし、
こちらの悪口を言われれば、
いつしかそれが”敵”、という概念を生んでしまうのです。
たけのこvsきのこ論争を見るうちに、
私にもいつしかそんな邪悪な心が芽生えてしまったのかもしれません。
「きのこ たけのこ論争」と言われると、
「いやいやいや、たけのこ きのこ論争だからw」
と突っ込みたくなりますし、
近所のセブンイレブンのたな卸しの量が圧倒的にたけのこの勝ちであることに、
「やはりな」とほくそ笑んでしまうのです。
平和主義でなければ、と今一度気を引き締める思いです。