前回からの続き
前回は日本人のアイデンティティとして武士の中でも異質な存在であった薩摩藩の例を挙げさせていただいた。
一見サッカーとは関係ないんじゃないの?と感じるだろうが私の見立ては違うのだ。
やはり、サッカーのインタビューやロッカールームでのやりとりの情報を見たりするとその民族の歴史観が色濃く反映されている。
そんな意味でもサッカーは考えれば考えるほどに面白いと感じるのだ。
自分の民族に対する誇り
こんな事ほかのスポーツで聞く事はないだろうと感じるが、やはりサッカーでは重要な要素なのだ。
例えば日本人はマリーシアをなかなか上手く使えない。
それは正々堂々というアイデンティティが組み込まれているからに他ならない。
ここからは歴史への主観も混じるので、苦手な方や不快に思う方もあるかもしれないが、私は第二次世界大戦の日本軍を誇りに思っている。
白人至上主義とした欧米列強のなか、アジアでは植民地支配をうけていないのはタイと日本だけだったのだ。
実際、日本は当時唯一欧米に意見できる存在であり、イギリスに植民地支配を辞めるよう訴えている。史実を深掘りすると、決して日本は支配をする為に満州や朝鮮を納めたのではないのだ。
このままではロシアを含め欧米に支配されるのは時間の問題だった。
満州は内乱が続き朝鮮は国として成り立っていなかった。
そこの2つがとられたらあとは祈るだけになってしまう。
愛する家族を守るための闘いであったのだ。
私は戦争を肯定しているわけではないが、そんな日本に誇りをもっている。
アジア解放をうたい、ほとんど勝ち目のない闘いを自らの犠牲をもって挑んだのだ。
実際、日本はアジアの国に行くと何をしたか?
それは自分たちで欧米の植民地支配から身を守れるように軍事教育をしていたのだ。
話を戻そう。
私はサッカーにおいてもこの内側にあるアイデンティティがかなりの重要度をもっていると感じている。
そして、今の日本のサッカーはこのアイデンティティや民族の習性によってできてきたのが分かると思う。
薩摩藩には示現流という剣術の流派がある。
特徴は、一振り目に勝負のすべてを賭けて振り下ろす、「先手必勝」の鋭い斬撃にあるとされています。また、そのための稽古も木刀で立木を左右から斬撃するという反復練習が主であり、実戦に主眼がおかれています。
薩摩藩士は示現流と呼ばれる流派を習得していたのですが、これがめちゃくちゃパワー特化型でした。
まさにみなさんのイメージする屈強な薩摩藩士の部分です。
示現流は、防御をほとんど捨てて攻撃に全振りした流派で一撃で敵を倒す事をモットーとしていました。
髪の毛一本分の遅れすら許さないというこの示現流で、薩摩藩士たちは圧倒的な速さと力で戦いの際にも優位に立つことができたんです。
示現流の圧倒的な攻撃力は、あの新撰組局長の近藤勇すら恐れるもので隊員たちに"示現流の太刀は必ず躱せ"と警告していたと言われています。
どうだろうか?
攻撃に魅力を感じるのも国民性だと思わないだろうか?
一つの事を一生懸命練習するのも国民性だと思わないだろうか?
こういった武士の特徴を振り返っても、私たち日本人のサッカーに色濃く影響しているのが分かるだろう。
私が以前のブログで日本人は守備に活路を見出すべきと考えたのも、守備的な考えではなく攻撃的にボールを奪うという観点からだ。
ハイプレスとブロック、ショートカウンターとロングカウンターを組み合わせていく。
攻撃的なハイプレスを特徴とした闘いをベースにするのが良いと感じるのだ。
あくまで現段階の日本代表に関してだが
また、薩摩藩はイギリスに留学に行き近代的なものを他国から学ぶ意欲が高かったのも今の日本サッカーがヨーロッパから学ぼうとしている姿にかぶるように感じる。
今回は薩摩藩だが、日本は食に関しても他国の料理を学びそして自分たちのものにする能力にたけている。
これはサッカーと繋がる部分が大いにあるだろう。
これからの日本サッカーはやはり自国に誇りをもっていくことも重要な要素なのだ。
他国から指導法などうまく取り入れて、ヨーロッパを必要以上にリスペクトしない。
そして軽視もしない。
まさに薩摩とイギリスの関係のようになればWカップで優勝するのも近づくかもしれない。