サッカーにおいて、自身の出土やアイデンティティが重要だと以前ブログにてつづった。
ウルグアイや南米の地域にはその昔先住民を引き合いに出し、俺らにはその血が流れている。
と、試合の前に士気をあげるのだ。
サッカーは感情のスポーツだ。
どんなに上手かろうがドリブルのタッチが柔らかろうが関係ない。
サッカーは闘いなのだ。
相手の陣地を奪い、相手の城(ゴール)に砲撃(シュート)するのだ。
私は南米で云われる先住民は日本で言うとなんなのか?
日本人のアイデンティティとはなんなのか?
そして日本人に眠っている力とはなんなのか?
そういった事を常々考えるのが好きだ。
私は歴史から振り返り、まずは闘うイメージは武士ではないかと考えついたのだ(浅い)
あの江戸幕府と対等以上に渡り合い、イギリス海軍をも追い払った薩摩藩からヒントを見てみよう。
実は薩摩藩の強さの源に、やはり自主性が隠れているのをご存知どろうか?
薩摩では郷中教育(ごじゅうきょういく)というのを元来大切にしてきたのだ。
薩摩の志士達は勇猛果敢なだけでなく判断力が高く、頭のきれる人達ばかりだった事をご存知でしょうか。
薩摩といえば、西郷隆盛のようなガタイの良さや力強いイメージが強く。
パワーで押してきたのでは?と思う人もいるかもしれません。
でも実際の薩摩藩氏たちは、とても現実的でした。
ジリジリとまわりや内部を固めて、ここぞというタイミングを虎視眈々と狙うタイプだったそうです。
西郷隆盛の同士だった大久保利道は冷酷なリアリストと言われていますし、東郷平八郎は軍の指揮官。
五代友厚は実業家として活躍しています。
どの分野もしっかりとした思考力や判断力が必要となるジャンルです。
この"強さだけではない"高い知性と精神力を兼ね備えた薩摩藩の武士の基盤となったのが
郷中教育でした。
郷中教育とはざっくり言えば子供達が自主的に教え合い学び合う教育システムでした。
先生という存在がなく、あらゆる知識は年長の先輩から年下の後輩へと自然と教え継がれていったんです。
また、この郷中教育での学びは強制されるものではありませんでした。
年下の子供たちが自主的に学びたい分野を選んで、それに精通する先輩のもとに行って教えを請うというものだったのです。
学びに対するモチベーションに溢れていて、吸収も早そうなのが容易に想像できますよね。
薩摩の青少年たちはリーダーシップ性や自分でかんがえて学ぶ力を育むことができたんです。
ただ先生もいなくて強制もされないなら怠ける人も出るのでは?と思いますよね。
もちろんそういう人もいたかもしれません。
でも郷中教育にはもう一つ特徴的なことがありました。
それが年少者たちは一日の終わりに集まり、学んだ事を共有していたことです。
これによってただ学ぶだけでなく、それを論理的に伝える力、そして、ディベート力も培ったと思うんですが同時に仲のいい友達が勉強してて楽しそうに議論している輪に入れないとか
もしくは、あいつよりもっと学んで上に行きたい。
そんな気持ちを刺激する効果もあったのではないでしょうか。
自主性に委ねると正直どっちに転ぶかわらないものではありますが薩摩藩の郷中教育は、かなり成功した例と言えるでしょう。
ここまでが、一部ではあるが動画内を書き写したものだ。
どうだろうか?
中々面白いと思う話だ。
私は日本人は元来このような教え合う気質があるのではないかと感じている。
現代では義務教育の変化により、自主性を育むのが難しいところではある。
だが、本来はそういった事をしていた地域がある事。それが自分たちにも備わっていると理解する事が大切なのではないだろうか。
次回はそんな薩摩藩の示現流と呼ばれる剣術の立派から、日本サッカーのスタイルに関する考察をしていきたいと思う。