まずはこちらの19:45あたりの小澤一郎さんの話を聞いてみてほしい。
小澤さん「これはすごい伝えたいんですけど、こないだも元レアルソシエダのカンテラのコーチと食事をして、話を聞いて納得したんですけど、そのレベルのカンテラコーチでもこの選手がプロになるかどうかなんて、はっきり言って宝くじ買うよりもはずれる。」
小澤さん「で、それで本当に自分に目があって、この選手絶対プロになれるって思ったらみんなコーチ達は大金持ちになれる。だって、代理人になれば良いんだから。」
小澤さん「でもやっぱりはずれるんですって。言ったら今のレアルソシエダであれだけプロになってるけど、ほとんどの選手が自分見た時に15、6歳まででも例えばオドリオソラなんかの例があがったんですけど、ユースで17歳くらいになるまでこいつプロになれないってみんなコーチ達言ってたんですって。」
小澤さん「そういう選手がいきなり化けるから、だから育成で1番大事なのはとにかくその選手の、目をつまないこと、邪魔しないことだから。とにかく好きにサッカーやってもらって、楽しんでもらうことしか俺はできないってプロのレアルソシエダのコーチが言ってるんで、日本の保護者のみなさん聞いてください。」
ある程度原文まんまだが、このように言っている。
どうだろうか?
私は遠藤航や伊東純也、小川航基のように、J下部に小学生や中学生の早い段階で引き上げられなくても、日本には逸材は数多く眠っていると考えている。
言うならば、補欠制度はそういった選手たちの成長を阻害していると感じている。
スポーツ選手は何かをきっかけに化ける事があるのは皆さん知っていると思う。
私は株式投資に少し似ていると感じていて、どの株が10倍になるかなんて分からないのだ。
私も4年前にエヌビディアを持っていた。
早々に利益確定してしまったが、信じて持っていれば良かったのだ。。。
横道に逸れてしまったが…
https://football-is-life.jp/top-player/
例えばこのブログを読んでみてほしい。
伊東純也や遠藤航を例にとり、日本は何を評価しているのか?について言及している。
下記がその一部内容だ。
果たして大人は子供の「何」を評価しているのか?
起きている傾向としての一番は
「ボールを巧みに扱うテクニック=巧緻性(こうちせい)」だと思っています。
実際、小学生のサッカーを見ていて、この子上手いなぁと大人たちから評価される子は、当然のことながら、「トラップが上手い」「ドリブルで細かいタッチが出来る」「動きにちょこまかキレがある」「キックが左右で蹴れる」っていう子達ですよね?
そういう子を評価しますよね?そういう子が評価されますよね?
「当たり前でしょ?技術の巧みな子を評価するの当たり前じゃん」
「それの一体何がいけないの??」
と思われた方は、ここでもう一度思い出してみてください。
伊東純也選手や遠藤航選手のことを。
上記が、本当に「当たり前の評価ポイント」であるならば、当時の彼らは恐らく「巧みさ」がなかったということになります。その現場にいた訳ではありませんが、本当にそうだったのかもしれません。
結果、彼らは、セレクションに落ちました。
でも、
その後、プロになって、日本を代表する選手にまで上り詰めました。
それほどまでにポテンシャルを持っていた選手がなぜ評価されなかったのか?
彼らは当時、何を持っていなくて、一体何を「実は持っていた」というのでしょう。
当時全く評価されなかった人間が、なぜ日本を代表する選手になれたのか?
他の子達と一体何が違ったのか?
実に面白い視点だ。
私もそう思う。もちろん、巧緻性に優れた選手もいるが、日本代表ではそういった選手ではない選手のほうが多いような気がするのだ。
つまり、小学生年代の日本の評価は全く当てにならず、巧緻性が無いやスピード、体格によってベンチで試合の機会を与えられない現状は競争力以前の問題なのだ。
私は勝利を目指す事が悪いとは思わない。
が、それはある程度プレータイムを確保した場合にのみ適用されると感じている。
サッカーの試合に出なくても努力して関東大学レベルにいった子供もいるだろう。
だが、もし試合の経験を人並みにしていたらもうすでにプロだった可能性も存在するのだ。
普通に考えたら、その方が成長する確率は高いだろう。
どうだろうか?
みなさんはどう感じるだろうか。