これはもちろん持論だが、仕事に対する姿勢は日本人はスピードよりも丁寧さを重視している気がする。










職人気質と言えば聞こえは良いが、細部に拘りすぎてビジネスチャンスを失う可能性もあるのだ。









サッカーに対してもやはり技術が1番にくるあまり、それを仲間にも求めているような気がするのだ。










というのも、日本の少年サッカーを見ると特定の選手にしかパスを出さない選手がいたりする。












出すべき場面で出せない。












出さなきゃいけない相手の技術がないから出さない。













これは危機感ニキのエピソードだが、実は彼は鹿島アントラーズのジュニアとジュニアユースに所属していたらしい。











自身を1番下手だったと言うが、問題はそこではない。











明らかにチームスポーツとしてはあってはならない言動を鹿島アントラーズの仲間はしている。











プロの下部組織の選手達がしているのである。












恐らくコーチも気づいているはずだが、中学校3年生まで続いたと言っているので改善されなかったのだろう。













もちろん、信頼されていなければパスが出てこないのもサッカーだが、チームスポーツという側面である以上パスを出すべき場面で出さないのは私はダメだと感じる。













もっと言うと、パスが出ないのは100歩譲ってしょうがないとしてもチームスポーツをやるうえで大事な人間力がこのエピソードの中では感じられない。












仲間を侮蔑したりする行為は、実力云々ではなくスポーツをやるうえで必要ないのだ。








日本人はいじわる




この記事では日本人をいじわるな民族だとしている。




引用---


──相手に出し抜かれるくらいなら、自分が損してでもダメージを与えたい。
あなたはこのような気持ちを抱いたことはありますか?

”日本人は上記のような意地悪な行動を選びやすい”と示すデータが、1990年代、日米の経済学研究者によって行われた実験で取得されました。このような行動は英語で悪意、いじわるなどを意味する単語、spite(スパイト)を用いて「スパイト(いじわる)行動」と名づけられています。



だそうだ。






なんとなく分かるだろう。会社でも意地悪な人は1人はいる









この記事の研究では、あるゲームをして相手に邪魔をするかどうかを調べたみたいだ





その結果、日本人は自分が損をしてでも相手の足を引っ張るという行動をするというのだ。







チームスポーツはどんな仲間であっても協力が不可欠だ。






そう言った意味では、チームスポーツのサッカーには人格も大事な要素だと感じるのだ。







このアントラーズのエピソードが本当なのであればそれはそれは残念だと感じる。





みなさんは学生時代にサッカーを好きなまま終えられただろうか?





日本人は一つのこうでなくてはならないに縛られすぎているように感じている。





足元がなくたって良いじゃないか。


日本に足りないのは「めっちゃ楽しそうにサッカーをする下手なおっさん」 欧州で目撃した、勝利(とビール)を真剣に目指す大人たち



私はこの記事が大好きだ。


引用--

欧州で見てきたのは、(日本的な物差しで見れば)目も当てられないようなレベルのおっさんたちが、真剣に勝利を(そしてその先のビールを)目指して、週末に、仕事終わりに、ガチャガチャとサッカーをする姿です。

 トレーニングウェアなのかすら分からないTシャツを汗だくにして、脂で武装した横腹を短パンの上に乗せ、得体の知れないメーカーの靴を履いて、ゴール七個分外れた軌道のシュートに対して、1秒遅れで大味なスライディングタックルを飛ばしている。しかし、彼らは真剣であり、恥とは無縁、自嘲が入り込む隙間はありません。

 そして何より重要なのは、その姿を育成年代の子どもたちが見ることです。サッカークラブは、地域は、そうしたおっさんたちにグラウンドを提供し、それを目の当たりにすることで、子どもたちはサッカーが上位総取りの序列的なスポーツではないことを理解します。サッカー、自分、自分より上手い/下手な人たち、それを上からジャッジする誰か、という序列構造から、サッカーと自分の蜜月関係を取り戻す方法を知ります。


1秒遅れのスライディングは、子どもたちに「この先もサッカーを紡いでいく選択肢」を与えているし、その脇腹は「サッカーは生涯、愛するに足るスポーツだ」と教えているのです。

 事実、僕が指導するクラブでも「ここじゃあ試合に出場できないなぁ」と察して、早々にそちらの『おっさん』チームに混ざってサッカーを続ける青年が、毎年一定数います。そして、彼らは辞めた、続けた、生き残った、落ちこぼれた、を経てもなお、それをひとりの人間としての優劣と混同せず、同じようにスパイクと練習着を持ってグラウンドに向かい、それぞれのサッカーを続けていきます。


是非この記事全文を読んでほしい。スポーツに大切なものが書かれていると私は感じている。




私は、ベンチの子も下手な子も、技術がなくてもギコくてもサッカーを楽しめる国になってほしいと心から思う。