競技が違う

 

 

 




 

 

ヨーロッパに行った選手が日本に帰ってきてよく言うセリフである。

 

 

 

 

 

 


 

 

なんなんだろうか。

 

 

 

 

 


 

 

今回はサッカーというスポーツの日本と海外での認識の違いを深掘りしてみたいと思う。

 

 

 

 

 

 



 

 

 

 

 

1.文化

 

 

 

 

2.闘い

 

 

 

 

 

 

 


 

 

よく聞く違いとしてこの2つをピックアップしてみた。

 

 

 

 

 


 

 

 

 

1についてだが、これはどの選手のインタビューでも聞くし、みなさんも聞いたことが一度はあるだろう。

 

 

 

 

 



 

 

 

 

ヨーロッパや南米サッカーが文化として根付いている。この件に関しては検証とかいうよりもそのままなので、深掘りするほどでもない。

 

 

 

 

 

 


 

日本で言う文化とは何か?

 

 

 

 

 




 

私が思うに、漫画。これが近いのではないかと思う。

 

 

 

 

 

 


 

日本にはそれこそいろいろな漫画がある。そのさきにアニメもあり、世界に誇る文化の一つである。

 

 

 

 

 

 

 



 

熱狂的なファンが多数いて、世界の漫画と比べると多種多様な漫画があり選ぶのが困難なほどだ。

 

 

 

 

 



 

 

ほとんどの国民がドラゴンボールやキャプテン翼を知っているし、ちびまる子ちゃんやドラえもんなんかは知らない人を探す方が困難だろう。

 

 

 



 

 

 

 

 

 

 

もし日本に漫画がなくなったらどうなってしまうだろうか....

 

 

 

 



 

 

それが文化であり、他の国では真似できないものなのかもしれない。

 

 

 

 







 

そう考えると、日本はまだまだサッカー後進国であり、文化としては難しいのではと思ってしまう。

 

 

 

 

 

 



 

 

そしてここからがすぐに変えられるのでは?と言うところだが、闘いである。

 

 

 

 

 




 

 

まず、元日本代表の内田篤人だがインタビューで

内田氏も、「スペイン人は『上手い』と言われるけど、めちゃくちゃ身体が強い。上手し、強いんで、そこらへんを勘違いして入ると、痛い目に遭うと思う」と言っている。

 

 

 

 

 

 

 



 

また、ペドリは父親から「ピッチ上でクオリティを示すことは重要だ。でも僕は同時に父からもらったアドバイスを常に頭の中に置きながらプレーしている。チームのために走らないと、いいプレーを見せることはできないという言葉をね」と言われている。あのペドリでさえプレーのクオリティではなくまずはチームのために走るということを言われている。

 

 

 


 

 

 

 

 

メッシはオランダ戦後に「何みてるんだよ、こら。この野郎。向こうに行け!」と言っている。あの神でさえも喧嘩しているような口調だ。

もはやこの言葉は他の球技では滅多に聞くことはできないだろう。

 

 

 

 

 

 


 

 

プレジデントオンラインからはこんな記事の記述がある。



一番わかりやすい例としては紅白戦です。日本のピッチでビブスを引っ張ったらどうなりますか? 審判は止めますよね。これがアルゼンチンの場合、それでも紅白戦では笛を吹きません。止めないでプレーオン。そうすると両者が熱くなります。それでもプレーオン、続行です。ファウルの基準もしかり、互いに戦っているのだからある程度は見守ろう、という精神なのです。審判の奥深さについても考えさせられると思います。

 

 

 





 

 

また、イングランドのサッカーを特集した記事では



多くのイングランド人は球際に対して、並々ならぬ文化、ポリシーを持っています。具体的には、相手より先に触るために、相手選手との距離感に気を使う他、相手に先に触られてもボールを奪い返すためにタックルを仕掛けようという文化です。例えば、イングランドのチェルシー・レディースに所属する大儀見優季は、イングランドの球際についてこう述べています。

「寄せ方(距離感)が上手いです。すごく嫌なタイミングで(自分に)寄ってくる。タックルの文化も感じます。他のチームとやった時、やっぱり相手選手は危険を察知すると構わずにタックルにくる。(以前プレーしていた)ドイツよりも、その文化を感じますね」イングランドでも技術よりもタックルの印象を語っている。



また、別の記事で南米のサッカーを取り上げている。



ストライカーに限らず、ウルグアイは国を挙げて才能を確実に吸い上げ、育て上げる環境を整えてきた。ではその才能自体はどう生まれてくるのか。そのルーツがある。

「南米ではアルゼンチンなどでも有名ですが、ウルグアイの子どもたちも6歳頃からバビーフットボールを毎週末のようにやっています」


バビーフットボールとは、フットサルよりもさらに狭いコートでやる6人制のサッカーである。

「コンタクトプレーが多く、相手はスライディングしてボールを奪いにくるし、ボールがタッチラインを割ったらスローインなので空中戦もある。彼らはそのなかで相手を背負ってターンをしたり、シュートをしたりして、ゴールを狙います。ここでストライカーに必要な身のこなしや駆け引き、得点感覚を磨いているわけですね」

 バビーフットボールは12歳まで行なわれ、そこからいい選手が各クラブのスカウトに引き抜かれていく。そしてその幼い頃から激しい競争がある。


 

 また、この記事ではウルグアイのサッカーをこう記述している。




ウルグアイの選手を語る時に、彼らにとって大事なメンタリティがある。それはウルグアイ代表の愛称の一つである「ロス・チャルーアス」に関係している。

「彼らはよく『俺たちにはチャルーアの力があるんだ』と言うんです。チャルーアとはウルグアイの先住民。昔、ポルトガル(ブラジル側)やスペイン(アルゼンチン側)の侵攻を受けて、チャルーアはそれに屈せずに戦い続けた歴史的な背景があります。

 だから、ウルグアイ人は絶対に降参しない。俺たちにはチャルーアの血が流れ、その力があるんだと。ウルグアイのサッカーがなぜ強いのかを聞くと、みんなそういうことを話すんです。怯えているのは俺たちじゃない、ブラジルやアルゼンチンなんだと」

 そうした彼らの強いメンタリティは、プレー面にも大きく影響しているのだ。

 



このように、あげるとキリがないが例えばYouTubeでは元興国の内野さんがこう語っている。





「スペイン遠征の時に、やっぱり守備で強くあたらないと無理なんすよね。だけど、日本に帰ると他の高校の監督にお前らのチームはプレーが荒いからやりたくない。って言われるんすよ。」

 




このような事からも、やはりサッカーは守備からセオリーがある事がわかる。






一言で言えば強い守備。対人守備に関しての記述が多いのだ。







また、トリアネーロ町田がイタリア遠征に行って帰ってきた時に監督はこう言っている。


大会全体を通して、「結局、圧力をかけられたところでボールを持てないと意味がないんです」と、若山監督は再認識したという。「帰国後、トレーニングや意識を変えた点はあるのか?」と質問を投げると、「守備です。絶対に守備です」と間髪入れずに返ってきた。




つまり、この対人での闘いこそが日本とヨーロッパの明確な違いであり、日本で技術を発揮できるからヨーロッパで技術を発揮できるようにはならないと言う事に他ならない。








日本人は相手選手をリスペクトする気持ちが多く、年を重ねるごとにぶつかるような対人守備が少なくなる気がするのだ。









実際、小学生年代を見ると闘う気持ちや奪いにいく守備をしているようにも見えるが、高校年代ではディレイ守備がほとんどを占めている気がするのだ。







育成、教育…文化。










これら全てが含まって日本サッカーなのかもしれない。