外出をする機会がめっきりと減った。
メルカドにも行かないし、野の花観察にも行かない。
出掛けるのは毎週日曜日に開かれる露店市くらいのもので、その時は運動がてら2時間ばかりも歩く。
それ以外には日々の食料の買い出しに週1くらいで、あちこちのスーパーには出掛ける。
『コンチネンテ』であったり『リドゥル』であったり、又は『ジュンボ』であったり、最近は『アルディ』にも時々は行く。シメジ茸など珍しい物が売られていたりするからだ。その他にも『インターマルシェ』や『ピンゴドース』『ミニプレソ』などというスーパーもこのセトゥーバルにはあるが殆ど行かない。
露店市と週1のスーパー以外は引き籠りオタクである。
ゴミ屋敷状態の家の中で、本を読んだり、パソコンのキーボードを叩いたり、裁縫をしたり、けん玉を放り投げたり、洗濯物を干したり片づけたり、パンを使った糠味噌をいじくったり、ベランダの韮と月下美人に水を遣ったり、水平線を眺めたり、描きかけの油彩の前に座ったり。
露店市の日曜日に雨でも降ろうものなら、日曜日にも引き籠りになってしまう。
その分、描きかけの油彩キャンバスと対峙する時間は増える。
家に引き籠って、昼食が終わった13時からはテレビのニュースを観る。短い時でも1時間、長くなれば1時間半のニュースである。
夕食が終わった18:00過ぎ、17:30頃から既に始まっているテレビのニュース情報番組『ポルトガル・ディレイト』を番組終了の19:00まで観る。
19:00に情報番組が終わればチャンネルを替えテレビ映画鑑賞の時間となる。入浴を挟んで前後就寝までほぼ毎夜2本を観ることになる。
その夕方の情報番組『ポルトガル・ディレイト』で全国のお祭りや展覧会の情報がある。情報はあるが、いつからいつまでなどという情報を見逃す。
かねてから観たいと思っていたアメリカのストリートアーティスト『キース・へリング』の展覧会情報があり、ついでもあって、情報番組を観た次の日に出掛けた。次の日なら間違いはないだろうと勝手に思ってしまったのだ。
初めての道で、苦労して到着したものの始まるのは5日後からであった。そんな時に限って友人を誘って行ったものだから、友人には悪いことをしてしまった。
諦めきれずに1週間後に再び出掛けた。
南アレンテージョ地方の中心都市ベジャで観てみたいと思った彫刻家の展覧会があった。その他にもいろんな展覧会情報があって、その内どれがどれかが判らなくなってしまう。これはボケ始めている証拠かもしれない。
とにかく久しぶりにべジャに行くのも悪くはない。スケッチもしたいところだ。日帰りでも可能な距離だが、折角だから1泊くらいはしてもよい。
ブッキングドットコムでホテルを検索してみる。既に雨季に入っているので天気も気になるところだ。オフシーズンのアルガルベ地方などに比較すると、ベジャのホテル価格は高止まりのままだ。なかなか行く決心がつかない。
それでもコーヒーを飲み終わった後、パソコンを開け、天気予報をみて、明日、月曜日から行こうかと言う話になった。ブッキングドットコムでホテル検索をしてみると、良さそうだと思っていたホテルがあいにく満室になっている。
念のため当日のホテルを検索してみると、未だ空室がある。天気は今日の方が良い。それに日曜日なので大型トラックが少なく走りやすいだろう。それで急遽、今から、ベジャに行くことにし、ホテルの予約を入れた。
それから大急ぎで荷造り。1泊分の下着、パジャマ、夜は冷えそうなので薄いセーター、洗面道具、薬、ミネラルウォーター、ビスケット、のど飴、スリッパ、スマホ、デジカメ、充電器、スケッチブックと鉛筆。1泊分でも5泊分でもあまり変わらない荷造りである。
でもこの時点で、ベジャでは誰の何の展覧会があるのかが混乱して判らなくなってしまっていた。それでも『ベジャのお城の中』という情報だけは頭の中にある。
出発は11:03になっていた。
キノコの森があるガンビアも横目で通り過ごし、水田が黄金色に輝いているアルカサル・ド・サルも過ぎ、松林の中を走るグランドラまでの悪路も今回は綺麗に舗装し直されて快調に走る。
昼時だが未だお腹は空かないが、この町を過ぎれば、ベジャに着くまで殆どレストランはないだろうし、ベジャに着いてからだと、昼食時間帯は終わってしまうだろう。
グランドラの出口付近に良さそうなレストランがあったので入ってみることにした。日曜日なので町の人達で一杯だ。そして料理が出てくるまでにかなりの時間を待たされた。待っている間のガーリック・オリーヴ油に浸して食べる焼き立てのアレンテージョパンが旨かった。料理もまあまあで満足の昼食で満腹になった。
グランドラからは国道IC1から外れて内陸部に入る。以前には無料だった高速道が有料になっている。有料を避けて一般道を走りたいところだがその入り口が判らない。
高速道入り口の標識を入っても一般道と別れることもあるので、その道に入ってみた。ところが一般道とは別れずにそのまま高速道に入り、切符を取るゲートになった。
これは仕方がない高速道を走るしかない。
他のクルマに従い走っていると、いつの間にか140キロものスピードが出てしまっている。それでも他のクルマは我がシトロエンをビューンと追い越してたちまち見えなくなってしまう。
高速道はそれ程長くはなく出口の料金は1,45ユーロであった。
でも高速道を降りた最初のロータリーでブレーキに異常を感じた。スピードを出し過ぎてブレーキに異変をきたしたのだろうか。
それからは慎重に走らせたが、ブレーキは異常なままだ。
ベジャに到着し、早速、お城を目指した。ベジャは何度も訪れている町だが久しぶりだ。『レオノール王妃博物館』の裏手の路上に空きスペースがあったので駐車した。日曜日なので駐車料金は無料だ。レオノール王妃博物館は見応えのある博物館で何度観ても良いと思うが今回は先ずお城の中の美術館だ。
以前にこのレオノール王妃博物館前の路上で映画のマノエル・ド・オリベイラ監督がディレクターズチェアーに座りメガフォンを持っての撮影中に出くわしたことがある。博物館の前庭をレトロな服装をした男女が通行していて、クラシックなクルマが置かれてあった。多分、オリベイラ監督の遺作となった映画で、オリベイラ監督が亡くなってしまった今となっては我々にとっても貴重な経験だ。
その角を曲がり狭い露地をお城の方向に行くと剥がされた『ジョルジュ・ヴィエイラ美術館』の看板跡が見えたので、その隣の雑貨屋さんで聞いてみた。そうすると「お城の中に移転しましたよ」との答えが返って来た。
そうだ、このべジャには『ジョルジュ・ヴィエイラ』を観に来たのだ、と思い出した。いや、我ながら可成り危ない。
お城に着くと、あの情報番組『ポルトガル・ディレイト』でやっていたそのままの美術館があった。そして代表作のモニュメントが入り口の壁に貼られていた。そうだまさに観たいと思ったのは『ジョルジュ・ヴィエイラ美術館』だったのだ。
お城の中の『ジョルジュ・ヴィエイラ美術館』2階部分と1階はツーリスモと右側にカフェ。
美術館の1階が『ツーリスモ(観光案内所)』になっていたので、街の地図を貰い、ホテルの場所を教えてもらった。
そして「上の『ジョルジュ・ヴィエイラ美術館』は何時までですか?」と聞いた。
階段を上がろうとすると、一人の女性が付いて来て一緒に階段を上がった。そして入り口で、その女性はニコリと微笑み「これが鍵よ」と言って、美術館の鍵を開けてくれた。
テレビの情報番組で紹介されたにも拘わらず、あまり入場者は居ないのだろうか。下の『ツーリスモ』で希望をしない限り、普段入口は閉ざされているのであろう。
一緒に階段を上がって来て鍵を開けてくれた女性は受付の椅子に座り「入場は無料です。どうぞごゆっくりご覧ください。写真も撮っても良いですよ」と言ってくれた。
作品数は少ないけれど、テレビで観るのより現物は更に良く面白く感じた。僕は迂闊にも今まで『ジョルジュ・ヴィエイラ』の名前を知らなかった。
1922年、リスボンで生まれ、1998年エヴォラで亡くなっている。このべジャとはどんな関りがあるのかは判らないが、1970年の大阪万博にも出品している。どうやら世界的に活躍した彫刻家の様で、ピカソのデッサンや彫刻の流れを感じる。
受付付近に2冊のカタログが置いてあった。作品集ともう一冊はデッサン集である。デッサン集は装丁が立派で如何にも高価そうに見えたが、作品集はそれ程でもないので、作品集だけでも、折角なので買いたいと思って価格を聞いてみた。受付の女性は書類をめくり価格を調べてくれた。33ユーロ何某という。思っていたよりも少し高い。印刷数が少なくなれば高価につくので仕方がないが、思い切って買うことにした。デッサン集も欲しいと思ったが、これ以上の出費は無理だ。だが、念のため聞いてみた。今度は書類を見ても判らない。見本のデッサン集の最初のページに鉛筆で価格が書いてあって、18ユーロ何某。装丁が余程立派なのに、装丁の簡単な作品集の方が高いのはおかしいと係の女性も思ったのだろう。作品集の最初のページも確かめると15ユーロ何某と書いてあった。33ユーロ何某は2冊分の価格だったのだ。そして2冊ともを購入した。
美術館を出てお城のスケッチをしていると、暫くして係の女性も美術館の鍵をかけて階段を降りてきた。スケッチをしていた僕に気が付くと、手を振って笑顔で挨拶をしながら『ツーリスモ』に入って行った。
お城からクルマに戻る途中に少し雨が降りだした。MUZを軒下で雨宿りさせておいて、僕が1人小走りにクルマまで戻った。クルマでレオノール王妃博物館の周りを1周して少し下った道に目指すホテルがあった。最初にクルマを停めた場所からホテルまでは1分の距離だ。でもホテルから道を挟んだすぐ前にも駐車スペースがあって、横断歩道を渡ってホテルまで10秒だ。
クルマからバッグを出しているのをホテルの前でフロントの人らしき女性が煙草を吹かせながら見ていた。「先程予約を入れたのはあれか」などと思いながら見ていたのだろう。
部屋の窓から自分のシトロエンが真ん前に見える。ホテルの前は道を挟んで公園になっていて、公園の更に向こうにポウサーダがあった。そのポウサーダの前に『ジョルジュ・ヴィエイラ』の大きな作品があるのが部屋の窓からも見えた。
お昼をレストランで食べるとお腹が空かなくて夕食は殆ど入らない。ワインとつまみ程度を部屋でテレビを観ながら食べるくらいが丁度よいので最近はそうすることが多い。
ホテルの部屋でちょっとだけ休憩をして、スーパーに買い物に行くことにした。
フロントで『リドゥル』は何処にありますか?と尋ねると、大まかに道順を教えてくれたが、一方通行などがあるので難しそうだ。でも何とか行けるだろうと思いクルマを走らせた。
こういった大型スーパーは大抵が町の出入り口付近にある。
直ぐにフロントの女性が教えてくれた道順が判らなくなったが『コンチネンテ』の標識があった。『リドゥル』ではなくても『コンチネンテ』でもまあいいか、と思い標識通りに行ってみた。
大きな新しく出来たばかりと言った『コンチネンテ』である。ワインとスライスチョリソ、ブドウなどを買い、ホテルに戻った。ホテルのフロント前を通過するときには『コンチネンテ』のエコバッグを抱えていた。
フロントの女性は『リドゥル』は止めて『コンチネンテ』にしたのだろう。と思ったらしい。
次の朝、朝食後、チェックアウトを済ませてから、「クルマの調子がおかしいので、見てもらいたいのだが、この町に『シトロエン』がありますか?」と聞いてみた。
「えーっと『シトロエン』は知らないわー。修理工場の『ローディー』なら知っていますけれど。」というので「『ローディー』でも構わない。何処にありますか?」と聞いた。
「昨日、『コンチネンテ』に行かれたでしょう。その裏手に『インターマルシェ』がありますが、その中です。」という。
『コンチネンテ』の裏手に『インターマルシェ』があったかなー、と思いながら、昨日の『コンチネンテ』までクルマを走らせてみた。その辺りをぐるぐる回ってみたけれど『コンチネンテ』以外にはガソリンスタンドと『バーガーキング』があるだけで他には何もない。
更に外れたところに集落があったので行ってみた。歩いていた老人に『ローディー』は何処にありますか?」と聞いてみると、如何にも面倒くさそうに足早に歩きながら「『ローディー』は『インターマルシェ』の中だがね~」などという。それはホテルフロントの女性と一致しているので正しい。でもこの老人の挙げた腕には刺青が施されていていかにもやばい老人のように見えた。その隣では犬ではなく黒ヤギが我々を見上げ笑っていた。どうやらジプシーの集落に入り込んでしまった様だ。
『コンチネンテ』に戻って、駐車場のところに突っ立っていた中年男に「『ローディー』は何処にありますか?」と尋ねてみた。「『ローディー』は『インターマルシェ』の中じゃがね~」と同じ言葉が返って来た。「それではその『インターマルシェ』は何処にありますか?」と更に突っ込んで聞いてみた。中年男は口籠ってしまった。道を教えるのが苦手な様子で、とにかくこの周辺ではなさそうである。
大体この程度の街になると同じスーパーが2軒や3軒があるものである。とその時に気が付いた。
ここはベジャの北の入口付近。そう言えば昨日、ホテルフロントの女性が教えてくれた『リドゥル』はべ―ジャの南側になる筈だった。そしてその周辺には大型スーパーの何軒かが固まってあるのだろうとも思った。南側と言うことは『カステロ・ヴェルデ』方面に行く道沿いに違いない、と思い。
その中年男に「カステロ・ヴェルデに向かう道ですか?」と言ってみた。男は「そ、そ、そう、そ、その通り、お、俺も今、それを言いたかったのだっ。」と口ごもりながら言った。
後は、『カステロ・ヴェルデ』の道路標示に従ってクルマを走らせるとたぶん着く。
お城の尖塔を左手に見ながら、先ず、エヴォラ方面への道も通り過ぎ、リスボン方面への道も過ぎ、更にカステロ・ヴェルデの標識を見逃さない様に、ベジャの街を大きく半周すると、先ず『リドゥル』の看板があって、次に『コンチネンテ』があった。ホテルフロントの女性は、昨日我々はこの店で買い物をしたものだと思っていたのだ。そして『コンチネンテ』の裏手に『インターマルシェ』があり、その中に『ローディー』が確かにあった。
『ローディー』の前にクルマを停め、他のクルマの修理中で忙しそうにしていた、初老の修理工、多分店長だろう。その人に「ブレーキがおかしいので見て頂けますか」と言ってみた。修理中のクルマを一旦中止して、すぐに僕のシトロエンを見てくれた。ブレーキを踏みこんで、「判りました。1時間で修理ができますから、申込用紙にサインをしてください。」
これで一安心である。難しい故障ではなさそうで良かった。1時間で済まなくても半日掛かっても実は構わないのだが。
スケッチをするつもりで、街の中心付近まで歩いて出かけた。
街の中心部、昨夜泊まったホテルのすぐ側に『ピンゴドース』があった。
フロントの女性に『リドゥル』の場所を尋ねたので、その場所を教えてくれたが、「どこにスーパーがありますか」と聞けば、多分、この『ピンゴドース』を教えてくれた筈だ。
お城の尖塔は隠れてしまってどこからも見られないが、スケッチの場所は多い。
修理は1時間とのことであったが、1時間半ほどしてから戻るつもりであった。
上って来た道とは違う道を降りて行った。その道にもスケッチの場所は幾つもあった。でも放射状になっているので随分と遠回りになってしまった。
『ローディー』にたどり着いたのは2時間が経っていた。
でもクルマは工場内のジャッキで持ち上げられたまま未だ直ってはいなかった。店長の姿は見あたらなかったが、3人の修理工が僕のシトロエンに係っていた。
若い修理工に「故障は難しいのか?」と聞いてみると。「いや、簡単さ」と言った。
それでも未だ終わってはいない。『ローディー』が見えるカフェに座ってコーヒーを飲みながら待った。
『インターマルシェ』のカフェの周辺にはいくつもの子供用乗り物が設置されている。SL機関車。宝物を一杯積んだ海賊船。それに顔のある自動車。小さな女の子が海賊船によじ登った。コーヒーを飲んでいた祖母らしき人が子供のために海賊船にコインを投入した。子供は何故こういった乗り物が好きなのだろう。などと思いながら子供のはしゃぐ姿を眺めていた。
それから30分が経ってようやく修理が終わった。徹底的に見てくれたようで安心だ。多分、ブレーキオイルが切れていただけなのだろうが、伝票を見るといろいろとチェックをしてくれている。修理代金を払い、家路についた。ブレーキは快適に効く。
高速道は走らずに一般道ばかりを走った。それでも100キロ前後のスピードだ。
月曜日なので昨日とは打って変わって大型トラックが多い。登坂車線では他のクルマに倣ってトラックを追い抜く。前のクルマが急ブレーキをかけてもこちらのブレーキも良く効くので大丈夫だ。
西日に突き進むこともなく、家に帰りついたのは17:00。
我が家のベランダからの夕焼けが美しい。
そして、又、引き籠りの日々が始まる。
ブレーキがかかったままになっている描きかけの油彩キャンバスとの会話でも、せいぜい楽しむしかないか…。VIT

























