どちらが下か上か、わかりにくい写真です。
いえいえ、これが正しいんです。
これは12月慌ただしい中、訪問した家。
どこで読んだのか、日本人だって個性的な人はいるけれど、
まあ、ドイツの人の個性ときたら、とどまることを知らない。
そんなフレーズが蘇ってくる家でした。
さて、この家の主の職業は?
「入り口」に戻ってみますね。
入り口で、こんなに足止めされたことは、今までになかったことです。
あっちもこっちも、と見上げること、しきり。
彼の関わってきた仕事。
「修復家」
そういっても、絵なのか、彫刻なのか、教会なのか、お城なのか、
様々な修復の仕事があります。
が、彼はすべてをこなせる人、なのです。
建築、教会だのお城だのの設計図。
こちらサイドは絵に関して。
色々な家を訪問していますが、
入り口ですでに、ノックアウトされた気分でした。
小さなキッチンを抜けて、私の目は彼方へ。
緑、
緑が綺麗!
暖かな火が燃され、いっぱいの緑。
どこか、遠くの喫茶店に来た、ような気がしました。
木馬にはちゃんと羽がありましたよ。
きちんと待っていてくれた、
そんな心が伝わる、暖かな火が燃えて。
私はあちこち観察するのに、大忙しでした。
この椅子はもしかして、いにしえの床屋さんのでは?
当たり、でした。
肘掛は、自分で木で、作って付けたそうです。
ここはなんと、昔,昔、同輩が少年だった頃、
時々遊びに来て、見とれていた、
大工さん(指物師)の仕事場だった、そうです。
今は全く違う雰囲気だけれど、
いい感じです。
ドイツの家は日本と違います。
家はずっとそこにあって、
人はある時、そこに住んで、また、家は新しい住人を迎える。
これを何回も繰り返しているにちがいありません。
そこ、ここの緑の元気のいいこと!
やっぱりよく手入れされている緑は、わかります。
気持ちのいいこと、この上なし。
私たちは工房に入りました。
これはドアハープ。
今、修復中です。
弦の上に吊るされた、球が
ドアを開け締めするたびに、コロンコロン、ポロンポロン鳴るしくみです。
バロック時代にもうすでに存在していた、遊びごころ。
球は?
そう聞くと、
「ああ、ピストルの弾ね。」
え、もしや実弾?
そう聞きながら、私の目は横の鉢に流れます。
これも綺麗。
矢車草の模様でしょうか。
様々な色もさることながら
圧巻の筆たち。
話しながらも、私の目は流れて、あちらこちら。
天井の面白いこと。
ふらふらしていると、
「これ、上げるよ。」の声。
ああ、これは?
11月に同輩はすでにここに来ていて、これを眺め、
「私」が欲しがるに違いない、といったらしい。
修復家はアーティストでもあるのです。
伝統の仕事をしながら、
捉われない、自由な発想をすることが
彼には必要なんだな。
結構、シュールなものもありました。
こちゃこちゃと多種多様な物の中、
これ、です。
曰く付きでした。
アメリカでハリケーン<カタリーナ>の大被害があった時、
ニューオリーンズの<ドミノ>ファミリーの家も水浸しになったそう。
このネズミミュージシャンが遊ぶ、多分オルゴールのピアノも
水に沈んだそうです。
それを友人の誰かが拾い、ここに送ってきたというわけです。
「いい?この歴史も次の人に伝えるんだよ。」
彼の声に我に帰りました。
声にならない私の声。
”これ、結構勇気がいるな。”
水に沈まず、ピカピカだったら、ここに来るわけもなく、
私ももらわなかったでしょう。
まあ、いっか。
少しの間、「里親」になるかな。
彼の長男は障害があるのだそうです。
その絵をとても大切にしていて、
一枚、一枚、専門家の目で説明してくれました。
父としての愛と、
専門家としての鋭い目が同居していて、
しっかりと、その声を聞きました。
最後にキッチンを通りながらお別れ。
でも、キッチンの写真を撮ることができませんでした。
イタリアに行くと、
写真を撮るのが嫌になってくる、
それに似ていました。
あまりにもすべてが凄すぎました。
「古いお城」からの床、
棚にはめ込まれているのは、これまた古い教会のパイプオルガンから。
「だって廃棄処分になるんだよ。」
古いものの専門家、
そしてそれを愛する人、
彼は「修復家」
また、印象に残る「人」と「家」との出会いでした。
ハリケーンを乗り越えてやってきた、ネズミ付きピアノは
私のピアノの上に乗っています。
私の楽器も、船で日本から運んだものです。
みんなが寝静まった後、
「波」の話しでもしているかもしれません。
このネズミたちは昔は、
音とともにくるくると回って動いたのでしょう。
ピアノの中にハープもあって、ネズミがいっぱい。
しょうがないな、これはもらわなくてはいけない。
不思議な出会い。
「人」だけでなく、「物」も時々。





















