アエミリアヌスは勝利によって皇帝となったが、その栄光は数か月しか続かなかった。
軍団は再び皇帝を見限り、新たな人物を選ぶ。
その時、帝国が頼ったのは若い英雄ではなかった。
長い行政経験と軍事経験を持ち、元老院階級の重鎮ウァレリアヌスだった。
即位時、彼はすでに60歳近かったとも言われる。
これまで登場した多くの皇帝たちとは少し違う。
彼は軍団の偶然の熱狂によって現れた人物ではない。
むしろ、崩れゆく帝国を前にして、「この男なら任せられる」と多くの人々が期待した人物だったのかもしれない。
考えてみれば、この頃のローマ帝国は異常だった。
軍団は次々と皇帝を擁立する。
有能な将軍は皇帝候補となる。
元老院は調整能力を失い、 軍もまた帝国全体を見る余裕を失っていた。
誰もがローマを守ろうとしている。
それなのに、その力が互いを傷つけ合う方向へ向かっていた。
ウァレリアヌスは、その状況を理解していたのではないだろうか。
だから彼は、一人で全てを抱え込もうとはしなかった。
息子ガッリエヌスを共同皇帝とし、自らは東方を、息子には西方を任せる。
後の時代では当たり前に見えるかもしれない。
だが当時としては極めて現実的な発想だった。
ローマ帝国は広すぎる。
一人の皇帝だけで守れる時代は終わっていた。
後のディオクレティアヌスによるテトラルキアにも通じる発想を、彼はこの時に実践していたのである。
もし平和な時代なら、彼は優れた皇帝として記憶されたかもしれない。
だが三世紀危機は、その程度では止まらなかった。
西ではゲルマン諸族。
東ではサーサーン朝。
特に東方では、王シャープール1世が猛威を振るっていた。
彼は歴代ローマ皇帝が相手にしてきた敵の中でも、最も危険な君主の一人だった。
都市は陥落し、属州は荒廃し、東方は揺らいでいた。
この時、ウァレリアヌスは逃げなかった。
若い将軍へ任せることもできた。
別の司令官を送ることもできた。
だが彼は、自ら東方へ向かう。
老いた皇帝は、自分自身の責任として帝国の危機を引き受けたのである。
そして260年エデッサ近郊でローマ軍は敗北する。
疫病によって軍は弱っていたとも言われる。
補給も厳しかった。
様々な要因が重なった末の敗北だった。
そしてウァレリアヌスは捕らえられる。
ローマ史上、極めて異例の出来事だった。
皇帝が戦死することはあった。
暗殺されることもあった。
だが生きたまま敵国の捕虜になる皇帝など、誰も想像していなかった。
ウァレリアヌスが捕虜となった後の逸話には、「シャープール1世が馬に乗る際の踏み台にした」「死後は皮を剥がれ、藁を詰められて晒された」といった有名な話が伝えられている。
しかし、これらは後世のキリスト教著述家による記録が主な典拠であり、「キリスト教徒を迫害した皇帝は神の裁きを受ける」という思想を伝える目的で書かれた可能性が指摘されている。
そのため、史実としては慎重に考える必要があるだように思える。
一方、シャープール1世はサーサーン朝を代表する名君であり、東方世界では大英雄として知られている。
ローマ皇帝を史上初めて生け捕りにしたことは、彼にとって最大の武功だった。
そのような歴史的勝利を収めた王が、感情に任せて捕虜を辱め続けたのだろうか。
むしろウァレリアヌスを「ローマ皇帝さえ屈服した」というサーサーン朝の威光を示す象徴として扱ったと考える方が、誇り高き王シャープールの人物像にはよく合うように思える。
真実は今となっては分からない。
しかし確かなことは、ウァレリアヌスの捕虜という出来事が、ローマ帝国にとって最大級の屈辱であると同時に、サーサーン朝にとっては永遠に語り継がれる栄光となったということである。
彼は無能ではなかった。
むしろ有能だった。
現実も見えていた。
帝国の問題も理解していた。
東西分担という発想も持っていた。
それでも止められなかった。
ローマ帝国は、もはや一人の皇帝の能力で支えられる段階を超えていたのである。
■TKC066 RIC V 136


アントニニアヌス / 銀化銅貨(BI Antoninianus)
皇帝:プーブリウス・リキニウス・ウァレリアヌス(Publius Licinius Valerianus, 在位 AD 253–260)
発行年:AD 254年、ローマ造幣所
重量:2.57 g
サイズ:22.5 mm
ダイ軸(Die Axis):6h
状態:GVF
表銘文
IMP C P LIC VALERIANVS AVG
「インペラトル・カエサル・プーブリウス・リキニウス・ウァレリアヌス・アウグストゥス」
図像(表)
放射冠を戴き、胸甲を纏ったウァレリアヌス1世の右向き胸像。
→ 放射冠は太陽神ソルを象徴し、皇帝の神聖な威光を表す。
裏銘文
VIRTVS AVGG
「皇帝たち(複数形)の勇気」
図像(裏)
軍装の女神ウィルトゥス(Virtus)が正面を向いて立ち、両手に軍旗(エンサイン)を掲げる。
→ 武勇・軍の規律・皇帝の威厳を象徴する図像。
複数形「AVGG」は、息子ガッリエヌスとの共同統治を反映している。
彼は捕虜となった皇帝として記憶されている。
だが私には、少し違って見える。
彼は最後まで逃げなかった。
誰かに任せることもできた戦争を、自ら引き受けた。
そして帝国と運命を共にするように、遠い東方の地で姿を消した。
それはローマの勝利ではなかった。
だがローマ皇帝としての責任を、最後まで背負い続けた人生だったのである。
