あーあ。断言されちゃった。
ただ、頭の血管にも心臓にも問題は無かった。良かった。
まあストレス溜まってないしな。溜まるような人生でもなし。
例の「尿が死ぬほど出る薬」どうします?って聞かれてうーんんと唸っていたら、30代ぐらいから飲み始める人はいるけどアラカンで始める人はほとんどいないとか。
また、飲み始めても止めちゃう方も多いとか。
そうだよねーーー😩
結局薬はとりあえず飲まない方向にした。
また半年後に来てくださいと言われて診断書書いてもらって終了。
今週と先週医者行きまくり。今月は医者代と交通費がとんでも無いことになった。月末にイラレ購入するのに。赤字だ。
透析にはあと10年以上は余裕があるっぽいからその前に行きたいとこ行かないと。
保育園で給食を食べるのが遅く、全部食べられずに謝罪を強要された方がトラウマで会食恐怖症になったと言う記事を読んだ。
以前も何度かこの手の記事は出ていて読んでいる。
その度に同じ思いをした方々のコメントがてんこ盛りで、ああいやな思いを覚えているの私だけじゃなかったんだなあとため息をつく。
とにかく食べるのが遅い・少食・輪をかけて好き嫌い多すぎだった自分は小1の頃は牛乳は半分も飲めない、パンも半分食べられない、嫌いなおかず(と言うより食べたいおかずの方が圧倒的に少なかった)丸々残すと言う有様だった。
4年までは許されたが、5年になった途端に給食は残すな!と担任から言われて地獄の日々が始まった。
食べられそうにないおかずは量を減らしてもらう
パンは誰かと半分こ
のような救済処置は一応はあった。
が、結局時間内に食べられず(まず牛乳を全部飲めない)その後の自由時間、皆が遊びに行っても食べていたことが何度かある。
パンを頬張りながらゴムとびした記憶すらある。
記事については同じような方々の思いがぶちまけられていて、残すならビンタでビンタを選んだ、なんて目が点なコメまであった。
書いた方々は多分昭和時代に子供だった方々なのだろうと推察されるが、記事の主は若者。
今時そんな保育園がまだ存在するのかと本気で驚いた。
幸いにしてトラウマになったりあれのおかげで苦手な食材ができたりしたことはなかった。
ただ、冷たくなった肉の繊維っぽい感じが苦手で、ケンタなんぞも現在でも冷めるといつまでも飲み込めずに苦戦する。
中学に入って運動部に入ったら俄然食べるようになりwあの遅食な自分が女子で1番に完食するようなことまで起きたw
克服できた食物もかなりあるし、身内のおかげで魚系も大分いけるようにはなった。
その後の人格形成に影響しなくて良かったと思うが、それでもイヤな思い出が無くなるわけではない。
牛乳一気飲みして吐いた子もいたしなあ・・・
今は考え方も教育方針も変わっただろうけど、確かに大事な食料をぞんざいに扱うのは良くないことだけど、でもこんな思いをするのはほんと昭和世代だけでいいよと思う。